モリノスノザジ

 エッセイを書いています

愛のことを言わせてほしい

 電車のなかで知らない人とふと目があって、それから、もしかしたらこの人との間に始まる恋があったかもしれないと想像する。いい相手に出会えないだのなんだのとたくさんの人が言うけれど、多分そうでもない。今の今まで他人だった相手であっても、何かのきっかけさえあればどうにでもなりうる。身長が何センチ以上とか、同じくらいの学歴とか、趣味がどうとか、そんな「好みのタイプ」を満たす人物はきっと、この世界にごまんといるのだ。

 

 それでもなお「いい相手と出会えない」と言いたくなるのはつまるところ、好き、を説明するために、好きなバンドが同じだからとか、真面目だからとか、お金持ちだからとかそういう具体的な理由をひとつひとつ挙げられるような恋ではなくて、どうしてだかうまく説明することはできないけれど、互いに心から惹かれあってたまらないというような恋を心のどこかで探しているからだと思う。そして、そういう感情のことを私たちはきっと愛と呼ぶ。

 

 

 私は高津カリノ作品がとても好きで、しみじみとコミックスを閉じるたびにどうしてこんなに好きなのだろうと考える。考えてもよく分からなくて、持ち越す。次のコミックスが出ると買って読んで、ときどきちょっと泣いたりもして、でもその好きなところを誰かに説明しようとしてもうまく言葉で説明することができない。つまりこれは、愛なのかもしれない。

 だから私はまったく上手に書くことができないし、うまく伝えられるのかどうかわからないのだけれど、どうか、愛のことを言わせてほしい。

 

 何度もアニメ化された『WORKING‼』や『サーバント×サービス』を知っている人がいるかもしれないけれど、もともと高津先生は個人サイトでWEB漫画を描かれていた。現在はヤングガンガンで『ダストボックス2.5』を連載中している。

 

ボリューミーならくがき漫画

 WEB漫画時代からすでにそうだったのだけれど、とにかく読みごたえがある。というのも、まず、ボリュームがある。本編を読み終えてもまだらくがき漫画がたくさんある。そういう状況は商業誌連載中の今でも変わっていなくって、本編とは別にTwitterでほぼ毎日4コマを掲載している。この間完結した『俺の彼女に何かようかい』では、最終巻発売と同時にTwitterに掲載された4コマ漫画をまとめた「WEB版」が発売されたのだけれど、あまりにも量が多かったので赤版・青版の二冊が発行されたほどだ。

 らくがき漫画は基本的に本編のストーリー進行に影響しない、キャラクター同士の日常的なやりとりを描いたものが多いのだけれど、これが私はとても好きだ。日々更新される4コマをながめながら、本編で描かれた以上の時間を共有してきたように感じる。作品のなかで流れる時間に厚みが出る。『俺の彼女に何かようかい』と同様に「特装版」というかたちでらくがき漫画がまとめられている『サーバント×サービス』を読んでいたときは、並行して更新されるらくがき漫画のなかで、登場人物どうしの関係が深まっていく感じがして好きだった(けど、気に入っていた4コマは特装版に掲載されていなかった…悲しい)。

 

設定の神

 高津先生の作品は好きだけれども、好きなだけに、新しい作品の連載が始まるときには期待のハードルが高くなる。前の作品と同じように好きになれるだろうか、なんて考えて、でも、その心配は杞憂に終わったこと以外ないのだから、いい加減安心すればいいのにと自分でも思う。

 『俺の彼女に何かようかい』は、その意味においては、第1話を読んだ時点で、この作品を好きになるという確信があった。なぜかと言うと、登場人物の設定からしてまず神なのだ。

 

 『俺の彼女に何かようかい』は人間と妖怪が共存する世界を舞台に主人公・福住篤志とヒロイン・白石無垢との恋愛模様を描いた作品で、篤志が無垢に振られるシーンから物語が始まる。篤志に告白されて、無垢もまんざらでもなさそうだ。でもふたりは結ばれない。無垢は雪の妖怪で、愛情やあたたかい感情を向けられると身体が溶けてしまうのだ。そのうえ、無垢の母親は訳ありで、人間のことを強く憎んでいる。

 他にも、無垢にとっての初めての友人・菊水真魚が、代々人間に苦しめられてきた歴史をもつ魚の妖怪という立場でありながら、無垢と人間である篤志との恋の応援に葛藤するだとか、こういうのを挙げはじめるときりがないのだけれど、そういう「たまらない」設定がそこかしこに仕組まれている。そして、そんな設定が生きる展開になって私はまんまと泣かされてしまうのである。

 

不完全なまま幸せになること

 多くの物語において、主人公は成長する。何らかのトラブルに見舞われてそれを克服する。劣っていた自分を変えて成功をつかむ。でも、高津作品における幸せのつかみかたは必ずしもそうではない。なにかしら欠点のある人間が、不完全なまま幸せになるという展開がところどころにあって、そのことにぐっときてしまう。

 

 『サーバント×サービス』に登場する主人公の同僚・三好紗耶は、ある区役所の保健福祉課で勤務する公務員。てきぱきと仕事をこなす主人公らと比べ、窓口にやってくるお年寄の世間話につかまってばかりで仕事を思うように進められないことを気にしている。余計な一言で相手を傷つけることを恐れていて、普段は言葉を控えるよう意識していたりもする。

 

 たとえば三好さんが、自分の欠点を克服して幸せになるエンドだったとしたら、そこまで好きにはならなかったかもしれないな、と思う。相手を傷つけないようにうまく言葉を伝えることができるようになって、お年寄の世間話も体よく切り上げることができる、とか。

 ときどき痛烈な発言を放ってしまうという三好さんの癖(?)は、本編では「治る」ことはなかった。そういった発言を遠慮したり、いちいち気をつかわなくてもいい関係性を気づけるような相手と出会えたからだ。欠点はかならずしも治さなければならないものではなくて、だれでも、不完全なままでも幸せになれるということにいつも勇気づけられる。

 

4コマのこと、言葉のこと

 4コマの構成だとか、ちょっとした言葉のニュアンスにもときめきの要素がかなり詰まっているような気がするのだけれど、私はこれをうまく説明できない。同じようなつくりの4コマが2本並んでいて、そのなかでたったひとつのセリフだけが違うようなときに生まれる面白みだとか、思わず唸りたくなるような技がそこかしこにある。どうしたらいいんだろう?

 

 

 中学生か、高校生か、少なくとも十代の頃から私は高津先生の漫画を読み続けてきて、とうとう高津先生の漫画に出会ってからの人生の方が長くなってきたことに最近気がついた。現在連載中の『ダストボックス2.5』は次巻で完結することがすでに分かっているから、なんだかすでにもうちょっと寂しい。この作品もまたこれからの展開がすばらしく私の胸にヒットする確信がビンビンで、楽しみなんだか悲しいんだかわからない。

 

 言いたかったのはただ好きだってことだけで、これが広い空に向かって息を吐くような意味のない行為であったとしてもかまわない。好きだってことを改めて、噛みしめている。

 

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