モリノスノザジ

 エッセイを書いています

くせコレクション

 微弱な揺れを検知して、すばやく周囲に目を走らせる。書架、揺れてない。デスクの上の吊り看板、揺れてない。ペン立てに差してある定規、これも…揺れてない。おかしいな。30年以内に大地震に見舞われる可能性が50%と言われる地域に生まれて、地震には敏感に反応するよう育ったはずだ。もしかしたら気のせいだったのだろうか。疲れているとときどき、地震でまわりが揺れてるみたいなめまいがするし。うん、きっとそうだろう。そう考えることにして、再び机の上の資料に意識を戻す。

 

 PCの画面上にはびっしりと数字。手元には紙。さっきから手直ししている資料の数字がなかなか合わないのだ。手元の資料とPC画面とを見比べながら、ときどき電卓をたたいたりしてひとつずつ確かめていく。2,592…168…44,637…5…15…178,695…ん?178,665?…って、さっきからさ、気づいているのだ。またどこかにかすかな揺れを。書棚も吊り看板も揺れてない。だけど、さっきから確かに聞こえるのだ。カタカタカタカタ…って、ちいさな音が。地震じゃないならいったいなんなんだ?と周囲を疑り深く見渡して、そして私はようやく犯人を見つける。隣の席の上司の、デスクの下に。

 

 彼には貧乏ゆすりをする癖があるみたいだ。手持無沙汰そうなときによく、腕を組んで豪快に足を揺すっている。まさか自分で気がついていないわけもないと思うけれど、なんてったって、隣に座っている私が揺れを感じるほどなのだ。どうしてこんなに足を揺するんだろう。もしかして私がなんらかのストレスを与えているのではないか、と、うす暗い不安が心をよぎる。なんとなく心配になって、こっそり自分の口臭を確かめる。…大丈夫だ、今朝飲んだコーヒーのにおいはうがいで消滅してる。

 

 上司の行動に対して「貧乏」だなんて形容詞をつけるのは申し訳ないような気もするけれど、それがどんな名であろうと貧乏ゆすりは決して周囲に歓迎される対応の癖ではない。というか、ともすれば他人に不快感を与えることだってあるものであって、イケてない、おブスな癖である。そう、癖にもイケてる癖とイケてない癖があって、貧乏ゆすりはイケてないほうの癖なのだ。

 

 私にも変な癖があって、人差し指の背で鼻の下をこする。それがどんなタイミングで発動するのかはわからないけれど、気がついたらこすっていて、あ、またやってるわ、と思う。なんなのだろう、この、いたずら小僧みたいなしぐさは。

 でも、これに関してはもう心配ない。いつのまにか鼻をこすることはなくなっていた。マスクを毎日つけるようになってからだ。それは、ある種の矯正みたいなものだったかもしれない。身体をポリポリ掻く赤ちゃんの手にミトンをはめるとか、貧乏ゆすりをする上司の脚を椅子に縛り付けるとか、そういう類の矯正に似て、マスクは私から鼻の下をこする癖を完全に消去した。コロナ禍でなければ、癖を矯正するためにマスクを着け続けるだなんて、とてもできなかったに違いない。その点ではコロナにちょっと感謝する。この癖、ちょっとだけイケてないと思っていたのだ。

 

 癖というのは意識してもなおせないものだと思っていたのだけれど、こうしてみると意外となおるものである。上司の貧乏ゆすりも、半年間一日も欠かさずに椅子に固定し続ければもしかしたら解消されるのかもしれない。これは本当に、冗談じゃなく。

 

 ともかく、癖をある程度自由に(?)コントロールすることができるとわかったからには、イケてない癖はどんどん捨てて、できるだけイケてる癖を身につけたいものだ。たとえば、二次元で描かれるイケメンがしばしば首を押さえるポーズを取っていることから「首を痛めてる系イケメン」だなんて揶揄されることがあるけれど、そもそもイケメンがそのように描かれるには訳がある。つまり、イケメンが首を痛めてるのではなく、首を痛めているようなしぐさがイケメンなのだ。

 というわけで、たとえば首を痛めてみる。誰かに呼び止められたとき、軽く謝るとき、挨拶するとき…あるいは、考え事をするときに頭を痛めてみる。眉間に集める深いしわ。こ、これはカッコいい。こういうのをコレクションしていかなければ。

 

 他に、ぜひとも身につけたいのはこういうので、たとえば何かを考えるときにゆっくりと指先で唇をなぞる。THE BEST OFイケメンしぐさである。感染症のことがあるのでしばらくはできないのだけれど、マスクが必要なくなったときのために今からでもマスターしておきたい。もしやるとしたらいったい何指でやるのが正解なんだろう?親指?それとも人差し指?まさか小指ってことはないと思うけど。

 

 鼻の下を擦る癖がいつのまにか無くなっていたことに気がついたころ、まるでその癖の代わりみたいに、新しい癖ができていることに気がついた。ひとつは、マスクをつけた後に指で眼鏡をなおす癖。眼鏡をかけていなくても、透明な眼鏡を指で押し上げている。もしかして、マスクをつけなくなってからもこの癖が残ったらちょっとイケてないなあ。

 

 もうひとつは、後頭部をさわる癖。作業をしていて行き詰ったときに、話をしていてちょっと言いづらいことを言うときに、なんとなく後ろ頭をさわってしまう。あんまりボリボリするのはどうかと思うけれど、基本的にこれ、そんなに悪くない癖だと思っている。まんまとイケてるタイプの癖をひとつ手に入れたんではないか。そう思うのだけれど、そこのところ、どうなんだろう?と思いつつまたさわってた。

 これが私の新しい癖。