モリノスノザジ

 エッセイを書いています

後悔ロード

 それでもなんとか上手に生きていきたいという気持ちで、あほはあほなりに計算をしてみたりする。このプリンを食べる場合と食べない場合で、どれくらい幸福度に差ができるか。嫌いなあの人と出くわさないためには、書類を持っていく時間を何時ころにすればよいか。電話に出たときの、できるだけ賢そうに聞こえる声色。その他もろもろ。

 でもそういう薄っぺらい知恵はたいてい甲斐のないもので、そのことをいつもこの道で知る。

 

 最寄り駅の改札を出てから私の家までは、おおよそみっつの部分に分けることができる。お店が立ち並ぶ駅前の大通り。花屋の角を曲がって歩く住宅地。やや大きめの通りを渡って通り沿いに歩けばわが家。ここまで歩きで約8分。この距離を遠いとは言わない。だけどこの絶妙な距離感が、私をいつも迷わせるのだ。

 

 ドラッグストアを出ると、雨。雨粒が眼鏡のレンズに落ちて、暮れかけた街に灯る明かりをぽやぽや光らせる。手に持ったトイレットペーパーはすぐに雨粒まみれになって、これがプラスチックで包まれていて本当によかったと思う。そこの花屋の角をまがってしばらく歩けば家に着くわけで、家に着けばもう外に出かけることはなく、すぐにでもシャワーを浴びてしまえるわけで、そういうわけで、傘をささないほうに気持ちが傾きかけている。

 

 傘なら持ってる。今日は午後から雨の予報だったし、それがなくても空は朝からどんよりで、傘が必要な一日になるってことはわかり切っていた。だから、鞄のなかに折りたたみ傘が入れてある。荷物を両手に持っているけれど、傘がさせないというほどではない。要するにただ、面倒なのだ。鞄から折りたたみ傘を出して、開くのが。濡れた傘を玄関で乾かして、明日の朝バタバタしながらたたむのが。

 

 そういう手間はどちらかというと全然大したものではなくて、三日もすればそんなことをしたことすら忘れてしまうくらいささいなものなのだけれど、面倒くさがりな私は計算する。雨の強さと、家までの距離、温度。ひらいてたたんでの面倒くささと、雨に濡れることによる弊害のどちらが大きいか。たいてい私は雨に濡れるほうを選んで、そしていつも後悔する。失敗したことに気がつくのはいつもこの道だ。

 

 花屋の角を曲がってから、次の交差点にたどりつくまでの住宅街を貫く一本道。距離にして数十メートルといったところだが、傘をささないほうを選んだ私はこの数十メートルでいつもひどいびしょぬれになってしまう。ちょうど雨を遮るような建物がないのか、私が思っているよりもこの道が長いのか、理由はわからないけれど、この道を傘なしで歩き終えたとき、私は傘をささない選択をしたことをいつも後悔する。角を曲がったときには、傘なしで家まで帰る気満々だったのに、中途半端に濡れて、残りのわずかな距離のためにやむなく傘を出す。こんなことならはじめから傘をさしておくんだった、って。だからこの道は後悔ロード。そう名付けることにした。

 

 薄っぺらな計算は往々にしてうまくいかないもので、好きな人とのLINEは無駄に焦らしたりせず返せるときに返したほうがいいし、かっこつけようとして好きなものを我慢したり、嫌いなものを身につけたりする必要もない。無駄になってもいいから、雨が降っていたらできるだけはやく傘を出して、寒いときも我慢せずに服を着るようにする。今あったかくしてしまうと、これからもっと寒くなったときに耐えられないかもしれない…なんてことを私は考えてしまうのだけれど、寒いなら着たほうがいい。それは絶対。

 

 花屋が見えてきて、まわりには傘をさしている人も傘をさしていない人もいる。傘をささないでこの道を歩き終えたらきっと、また、後悔する。そう思って今日は早めに傘を開いた。たいした雨は降っていなくて、でも、一度閉じた傘を乾かすために玄関でひらいたら、派手なしぶきがドアに飛んだ。これは、もしかしてひとつ賢くなったのかもしれない。味を占めてこれからは、計算高くこまめに傘をひらいてやろうと思う。