モリノスノザジ

 エッセイを書いています

今日もゆかいな淳さんから

 日本がイタリアだったら、毎日スられてんだろうなーと思いつつ階段をのぼる。駅のホームから改札へ上がる狭い階段は、スーツの黒集りで濁流だ。そんななかに、ぱっくりと口のあいた鞄をぶら下げている。わざわざ口を閉めるのがめんどうなだけで、特に理由はない。これがイタリアだったら、とっくに鞄のなかの財布がスられちゃってんだろうなーなんて、イタリアをスリが横行する国というイメージで染めながら、でもよかったと思う。ここはイタリアじゃなくて日本だから。

 

 そうやって無防備に持ち運んでも財布がなくならないのが日本のよいところ…と思いきや、会社に着いて鞄を開けると財布がない。上着にもズボンのポケットにもない。よもや、と、あわてて交番に駆け込む必要も、しかし、ない。冷静に一日の務めを終えた私が家に帰ると、財布は今のテーブルの上に鎮座していた。

 

 よくあることだ。土日にちょっと出かけたりして、そのときに出勤用の鞄から財布を取り出す。それを月曜の朝までに鞄に戻すのを忘れるものだから、そのまま忘れて出勤してしまうのだ。とはいえ、財布を家に忘れて困ることはない。弁当も飲み物も家から持っていくし、電車は定期があれば乗れる。IC定期券に残高があればコンビニで買い物もできるし、特別な予定がなければ財布がなくても最低限の用は済む。鍵をかけた家のなかにある分、財布としては安全とも言える。

 

 それでも財布を忘れるとへこむ。なんだかすごく間抜けなことをしているなあという気分になるし、まあ、そういう間抜けな気分で一日を過ごすのもそんなに悪くはないのだけれど。財布を忘れて、愉快な淳さんである。

 その点、サザエさんは強いな。と思う。家に財布を忘れて街に出たサザエさんは、みんなから笑われてしまう。あろうことか、子犬にも笑われている。な、なんておそろしい世界。財布を忘れたことがみんなに知られていて、それをこぞって笑われる。…けれど、その次へ進むとどうやら違うみたいだ。「ルルルルルル今日もいい天気」なんてすかっとして、なんだかいい気分になる。嘲笑するように見えた「みんな」も「子犬」もあたたかく笑っていて、気がついたらとてもホンワカした空気に包まれていた。

 

 実際のところ、他人の笑顔を嘲笑と受け取るのも、やさしいほほえみと受け取るのも、すべて自分次第だ。サザエさんのほんとうに強いところは、たとえ失敗してもあらゆる失敗をコメディに変えて、まわりの雰囲気をホンワカしたものに変えてしまうところだと思う。

 

 暑いわ不安だわマスクはうっとうしいわでピリピリしているのか、ここのところ仕事をしていてもいつもよりクレームがたくさん来る。それも、言ってもどうにもならないようなしょうもないクレームばかりだ。みんなイラついてるんだと思う。わかる。私もイラついている。こんな状況でも解消されない満員電車とか、マスクとか、肌荒れとか、予定していた旅行がパーになって今後も当面はどこにも出かけられないこととか。でも、こんな状況をなんとかコメディに変えていければと思っている。

 

 わからないことや理解できないこと、どうにもできないことをコメディに変えるのも、わからない人や理解できない人、どうにもできない人にどうしても向けてしまう一方的な怒りを和らげるのも、想像力だ。もしかしたらこういう事情があるのかもしれない、とか、こんな理由があったらおもしろいな、とか。あまりにも他人に対する想像力に欠けている人、というのが世の中にはたまにいて、偶然かもしれないけれど特にここのところよく見る。そういうのは嫌だなあと思うし、できることならできるだけたのしく生きていければいいと思う。今日もゆかいに、コメディに。