モリノスノザジ

 エッセイを書いています

「ご報告があります」

 新型コロナでニュースは毎日ブルーだけれど、どういうわけだかここのところ芸能界におめでたいニュースも多いような気がする。…と書いておきながら、具体的には誰だったっけ?と、調べてみたら知ってる人も知らない人もたくさんご結婚されていた。考えてみれば、芸能人だって人なのだ。だから、人並みに結婚したり子どもができたり病気したり恋愛したりもする。そのうちの一部が一部の報道番組やなんかに取り上げられて、私のような赤の他人の耳にも入るというだけで。

 

 芸能人の結婚報告でふしぎなのは、というか結婚に限らず芸能人の報告全般かもしれないけれどふしぎなのは、彼ら/彼女らが手書きの報告書(?)をしばしば用いることだ。当然ながら、見ず知らずの芸能人から私のところへ直接お手紙がくることはありえない。たとえばその芸能人のTwitterアカウントや公式HPで結婚の報告がなされ、それを受け取ることによって結婚の事実を知る。

 報告にあたっては、シンプルに文章を掲載すればよい。Twitterならいつものツイートと同じように、HPならいつものお知らせと同じように。Twitterでの文字数規制の問題で画像を用いるとしても、ワープロで打ち込んだ文章を画像化すればよい。けれど、これがときどき手書き文書であることがある。紙に手で書いた文書をスキャンして、電子データ化したものを使用するのだ。もとから電子媒体で発表するとわかっていながら、あえて紙に書いてスキャンするというひと手間をかませる理由はなんだろうか?

 

 当然ながら、一字一句同じ文章を書くのであれば、ワープロで打つのと鉛筆で書くのとに変わりはない。「トマト」と鉛筆で書けば自転車を、ワープロで打てば青りんごを指す。なんてことが起きているとすれば、文字によるコミュニケーションは相当に混乱する。何を使ってどう書かれようと同じ言葉は同じ物を意味するというのが、言葉のお約束なのだ。

 

 紙に鉛筆、あるいはペンで何かを書くとすると、文字以外の物も書くことができる。レイアウトだって自由自在だ。文字を斜めに書いたり、折り返したり、イラストを挟んだり、間違えた文字が消えずに残っていたり。しかし、たいていの結婚報告はシンプルに文章を紙に記しただけで、そうした類の装飾が加えられていることはほとんどない。とすれば、これも違う。

 

 一番想像がついて、一番ありえそうなのは「手書きのほうが心が伝わる」という理由だ。PCで作成した履歴書がマナー違反だなんて話を聞くとばかばかしいなあと感じるけれど、ワープロで打ったのを便箋に差し込み印刷したラブレターをもらう場面を想像すると、まあ、気持ちはわからなくもないかもしれないとも思う。

 文面を考えるのに費やした時間が同じでも、手書きのほうが直にその痕跡がみえるというのか、「心が伝わる」なんて具体的に何がどうなるのかわけのわからない言い分だけれど、なぜだかジーンときてしまうのが人間なのだ。結婚報告もしかり、単なる事務連絡ではなくて、報告相手(つまり私)に対する思いというのか、まあ、心がこもっているような感じがするのだろうね。

 

 というわけで芸能人の方々は心を伝えるために手書きの報告書をWEB上で公表されるのでしょうけれど、こうして手書きでないかたちで日々記事を書いているわれわれブロガーはどうなだろう。「手書きのほうが心が伝わる」なんて言われちゃったら、手書きしたら何がどうなるというのか試してみたくなる。もしかしてものすごく皆さんに心が伝わって、バーン!でジーン!な感じになっちゃったりするのではないだろうか。

 といっても、数千字にわたる記事をすべて手書きにしたら重いだろうし(仮にきれいな文字だとしても)ウザいだろうし、とても現実的ではない。ここぞというときに書くかな、って思ったけど、ブロガーのここぞ報告っていったいなんなのだろう?結婚報告もしないだろうし。今年も無事ボーナスがもらえました!てのもヘンだし。トイレ直りましたよ~ってのもおかしいし。…でも、それはちょっと楽しそうかも。
 

(追記)手書きでつぶやいてみた。