モリノスノザジ

 エッセイを書いています

大人買いのキラキラ

 ちょっとした用事で駅裏まででかけたあと、そのあたりにケーキ屋さんがあることをふと思い出して、なんのお祝いでもないけれどケーキを買って帰ることにした。

 店内には50代くらいの男性が一人いて、ずいぶん迷ってから果物入りのロールケーキをふた切れと、チョコレートケーキをひとつ、ベリーのムースをひとつ買って店を出ていった。私はやっぱり迷って、ロールケーキをひと切れとエクレアをひとつ選んだ。家に帰ってもどうせ一人なのに、いつもふたつ以上のケーキを買ってしまうのはただの見栄だ。店員さんにはすべてわかっているのかもしれないけれど。

 

 ケーキがふたつ入った小さな紙袋は、片手に下げて歩いたら家に帰るまでにばらばらになってしまいそうなくらい頼りなくて、だから両手で持って帰った。手のひらで眠る小さな生き物を、起こさないように注意して運ぶみたいに。ふいにレジで支払った金額を思い出した。640円。これが、640円か。なんだ、月1でも全然いけるな。――っていうか、ケーキってもっと高級で、特別で、特別な日にしか食べられないものじゃなかったか?

 

 月のおこづかいが500円だった頃は、640円を貯めるのは大変なことだった。500円のなかから漫画が買いたいし、友だちとガチャガチャを回したい。お弁当箱とかバナナとか、わけのわからないかたちの消しゴムを集めたいし、お菓子だってほしい。500円なんてすぐに消えてしまうのだ。おこづかいが5千円になった高校生でも、月5万円の仕送りをもらって一人暮らしを始めた大学生でも、2コで640円のケーキは気軽に食べられるものではなかったと思う。

 

 いまだってそんなにたくさんの収入があるわけでもない。だけど、さすがに小学生のころや大学生のころとは変わった。回転寿司でお腹いっぱい食べて2千円なら、なんだ、この程度かって思うし、ケーキも4つくらいなら平気で買えると思う。ケーキを4つも買うなんて、子どものころの自分からすれば相当な夢だったはずだ。気になっている漫画を一気に全巻揃えるとか、金曜日の夜にポテトチップスを大量に買い込んでお菓子三昧するとか、そういう子どものころ夢見た大人買いがぜんぶ、ケーキ4つと同じくらい手の届くところまできてしまった。大人買いはもうキラキラじゃない。

 

 ずいぶん悩んだあげく4つのケーキを買っていった男性のことを思い出す。おじさんが4つもケーキを食べるわけがない。なんて決めつけるわけじゃないけれど、きっとあのケーキはおじさんがすべて食べるわけじゃないだろう。もうキラキラしなくなった大人買いをするのに、あそこまで迷う必要もない。ましてや、私よりずっと年嵩のおじさんだ。あのくらいの年齢になったらきっと、キラキラしないどころか、毎日お風呂に入れるバブの種類を選ぶみたいに気軽に、ケーキだって選んでしまえるに違いない。悩むおじさんの向こうにいたのはもしかしたらおじさんの家族かもしれなくて、私が一人で食べるための大人買いと比べて、なんて素敵な大人買いなことだろうと想像した。

 

 私のクリスマス・イヴには毎年決まった予定があり、それは、デパートで注文したホールケーキを一人で平らげることだ。そして、クリスマスにも決まった予定があり、それは、イヴに食べたホールケーキで腹を壊して寝込むことだ。エクレアとロールケーキをいっぺんに食べた私は、そのきっかり2時間後にお腹を壊し、30分間トイレにこもった。やっぱり大人はキラキラじゃない。