モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ボールペン・コ・コンプレックス

 私は左利きだ。文字を書くのも、食事をするのも、はさみもナイフも改札も、すべて左の純度高めな左利きだ。一般に(?)左利きは「器用だ」と思われているふしがあるけれど、まったくそんなことはない。私は左手が使えるかわりに右手が使えないのだから、はさみも箸も鉛筆も、すべて右手で使うことができる右利き諸氏だって私にとってはよっぽど器用だ。

 それなのになぜ左利きが「器用だ」と思われているかというと、それは右と左とを場合によって使いこなすタイプの左利きが存在するからではないだろうか。そういう人たちのなかには単に器用なので右手も左手も使える、という人もいるのだろうけれど、道具の事情でやむをえず右手をつかっているとか、右手を使うよう教育されたという人もいるにちがいない。そういえば私も、唯一習字だけは右で書くのだった。左では払いがうまく書けないという理由で硯を左に置かれて、以来毛筆は左では書けない。

 

 左手で握れても、うまく書けなかったものがある。ボールペンだ。ちいさいころからボールペンは苦手だった。あの、昔からある、プラスチックの軸で黒と赤のインクがあるボールペン。キャップのクリップ部分はさわるとふちがちょっぴりぎざぎざしていて、なぜか歯型でふにゃふにゃだった。私はとにかくこいつと相性が悪くて、使えばたちまちダメになる。新品のインクたっぷりなのに、紙の上でいくらひきずってもうんともすんとも言わないのだ。

 どうも、ボールペンのボール部分が想定と逆方向に回ることで空気が入り込み、インクがうまくボールに乗らなくなるのが原因らしい。文字や絵を書くときあんなに奔放な動きをしていながら、左手で文字を書く動きに対応できないなんて、なんだか納得がいかない。どういうことなんだ?と詰問しながらがちゃがちゃ紙の上を動かすも、ボールペンはますます黙ったまま。これがHI-TEC-Cのような極細タイプになるとほんとうにもうまるでダメで、うかつにも私が手を出したHI-TEC-Cは生涯で一度も文字を書くことがないまま筆記用具としての生涯を終えることになってしまうのだ。

 

 そういうわけで学生時代まではボールペンをとんと使ってこなかったのだけれど、いざ社会人になって仕事でボールペンを使うようになると、これがまあ、普通に使える。どうしても書けなくてやむなく屍にしてきたボールペンたちが嘘みたいに、するする書けるのだ。小さいころ何度もダメにした5本100円のボールペンでもなければ、天敵のHI-TEC-Cでもなく、ようするに二十数年の経験を経て自分に合うボールペンを見つけられるようになったといえばそうなのかもしれないけれど、なんだか拍子抜けだ。

 といっても、いまどきは宇宙で書けるボールペンだって開発されているくらいだから、地球にいるサウスポーに使えないなんてことがあってもらっちゃ困るのだけど、なんて、ボールペンの進化に感謝しながら今日もJETSTREAMを握って日記帳に向かうのだった。