モリノスノザジ

 エッセイを書いています

おいしいものが好きなひと

 ちょっとでも気を抜けば、ろくでもない食事をしているから困る。ほとんど麺しかないパスタに半冷凍のミックスベジタブルを混ぜたり、いつつくったかわからない炒め物を何日も食べたりしている。腹が丈夫で助かる。それでもなんとか自分に「食べさせている」という意識はあって、それだから、起き抜けのぼんやりした頭が朝食のことを「餌」と呼んでいることに気がついたときにはさすがにすこしショックを受けた。けどそのときには(うわ、餌って言ったよ今)くらいの感覚で、自分の食事を無意識に「餌」と考えているということがいったいどういうことなのかについて深く考えはしないのだった。

 

 三大欲求の強さを割合で示すとしたら、私の場合、おおよそが睡眠欲で占められることになると言ってもいい。生きるために食事は必要だけど、生きていければそれでいい。だから、旅行中は時間節約のために食事を抜くこともあるし、何日も連続でサンマを食べ続けたり、何日も連続でピザを焼き続けたり、何日も連続でカレーをつぎ足し続けたり、何日も連続でうどんを煮込んだりする。

 同じ料理を何日も続けるのは、毎日違う料理をつくるよりも効率がいいからだ。今日も明日も同じ料理をつくるのであれば、食材を余らせることもないし、年に一度しか使わない調味料をキッチンに眠らせておく必要もない。食器や調理器具も最低限で済む。毎日同じ料理をすることで腕は上がるし、自分が飽きさえしなければデメリットはほとんどない。

 

 そんな食生活を、しかし、見直さなければ、と考えるようになったのは、友人と蕎麦を食べたときの出来事がきっかけだった。ひとりではめったに外食をしない私も、誰かといっしょであればよろこんで出かけていく。ケチというわけではないのだ。

 店主が少し気難しい人なのか、店内には客に向けた注意事項の貼り紙があちこちに貼られていた。注文の多い料理店である。店員の気に入らない注文をしたら怒られるのではないかとびくびくしながら天ぷらとサルそばを頼むと、店員さんは「天ぷらそばのほうが少し安いですよ」と言って天ぷらそばを勧めてくれた。メニューを閉じて、天ぷらそばが来るのを待つ。なんとなくそう思ったので、ふと「おいしいものを食べるのっていいね、なんとなく、自分を大切にしている感じがする」と言うと、友人に「そう?」と言われた。

 考えるのと話すのとでは考えるほうが先にありそうな気がするものだけど、そのとき出た言葉は言葉のほうが先だった。自分で言っておきながら、「おいしいものを食べるのっていいね、なんとなく、自分を大切にしている感じがする」っていう言葉はすごく大事な気づきであるような気がしていた。自分においしいものを食べさせないこと、自分の食事に「餌」なんて言葉を連想してしまうような生活をしているということはつまり、自分自身を大事にしていないということなのだ。

 

 大事な大事な人が家に来たらどうするだろうか。部屋はあらかじめきれいに掃除しておいて、カーテンは開けて明るくしておく。とびきりおいしいものをたくさんつくって、お風呂はシャワーじゃなくて湯ぶねを用意して、ふわふわのタオルに、日中干しておいた布団。清潔なパジャマ。だれかのためにならしたいと思うそうしたあたりまえのおもてなしを、私にだけはしていなかったかもしれない。まるで自分自身は全然大切でもなんでもないみたいに。

 

 誰かと自分を比べて、自分が小さく思えることがある。だけど、大事な誰かのことを思いうかべるときに、その人がほかの誰かと比べてどうだってことが関係あるだろうか。その人ができないことがあるとか、有名じゃないとか、美人じゃないとか、そんなことを理由に大事に思えないなんてことがあるだろうか。誰かが誰かを大事にするとき、そんなことはまったく関係ないはずなのに、自分のことを考えるときにはそのことを忘れてしまう。自分にはできないことがあるからダメだとかそういうふうに考えて、どうでもいい食事をしてしまったり、ろくでもない生活をしてしまったりする。頭でわかっていても、そっくり考えを変えるのは難しい。おいしいものを食べることとと自分を大切にすることとは同じことで、自分は無条件に自分を大切にしていいんだって、わかっていても、簡単に行動を変えるのは難しいのだ。

 

 だから私には、おいしいものが好きな人が必要だ。一緒においしいものを食べに行ってほしい。私が粗末な食事をしていたら叱ってほしい。旅行先ではお腹が空いたと言って駄々をこねて、その土地の名物料理をねだってほしい。そうやって、私が私を大事にするのを手伝ってほしい。その人のためなら私はひとりで出かけた旅行先でもたっぷりお土産を買ってくるし、たまには時間がかかる料理だってする。たまに会うときには手土産に菓子を持っていく。一緒に食べる。

 ああ、どこかにいないだろうか。そんな、おいしいものが好きな人。