モリノスノザジ

 エッセイを書いています

(笑)

 食べ終わったアイスの棒にはアイスの味がしみ込んでいるような気がして、もう食べられる部分は残っていないのに、その木の棒をいつまでもかじっていたものだ。Doleのフルーツバーみたいなタイプは特に。意識を集中させてやれば実際木の味に混じってほのかに果汁のようなあまい味がするような気もして、歯型でぼこぼこになるまで噛んだ。

 そういうわけで、じゃないけれど、なんとなく、食べ終わったアイスの棒をくわえたりする。上の前歯と下の前歯とで軽く木の棒を挟んで、口を「イーッ」ってかたちでキープする。こうすると頬の表情筋が鍛えられて、上手に笑顔ができるようになると聞いたことがある。表情の乏しい私がまっさきに身につけるべき筋肉だ。…ところで、唾液というのは日ごろからこんなにもせっせと生産されているものだろうか。油断すると、横向きに棒をくわえた唇の端から唾液がこぼれそうになる。これもひとえに笑い慣れていない顔面ゆえか。会社の受付のおねえさんは毎日あんなにも笑顔で、一滴も唾液をこぼすところを見せたことがない。これが笑顔スキルの違いというやつなのかもしれない。

 

 言うまでもなく、笑顔というのはいいものだ。いくつか窓口があって、笑顔の人と笑顔でない人がいれば、笑顔の人がいる窓口のほうを選ぶ。笑顔は人の警戒心を解く力を持っている。逆に言えば、笑顔は相手に対してなんらかのメッセージを放っているのだ。「私は味方ですよ」とか、「警戒しないでくださいね」とか。

 

 それでもときどき、笑いが他人の警戒心を駆り立ててしまうことがある。警戒しているのは、私だ。以前からどうにも気になっていたのだ。彼とは仕事上頻繁に電話でのやりとりがあり、日に一度も彼の声を聞かずに終わる日はないと言ってもいい。彼がその部署に配置されたのは一年前のこと。内線を取った彼の声をはじめて聞いたときのことを、いまでも覚えている。彼(仮に村上とする)は笑うのだ。

 

「はい、村上です(笑)」

 

 (笑)といっても、ワハハとかアハハとか、快活なタイプの笑いではない。なんだろう。(笑)としか表現できない、微妙な笑いだ。電話越しに伝わるのだから、顔だけで笑っているということもない。どちらかというと「鼻で笑う」と言われる笑いに似たものだ。私と彼とはそのとき初対面(?)で、彼がなぜ電話越しに笑っているのかわからなかった。しかし実のところ、1年以上電話で話し続けた今でも理由はわかっていない。わかったのは、ほとんど句点の代わりになるとも言ってしまえるくらいの頻度で彼が(笑)っていることだ。いったいどうして彼は(笑)うのだろうか。

 

 彼の(笑)は、個人的な印象としてあまり良いものではない。私の卑屈な性格や、仕事上彼に迷惑をかけることが(最近は)多いことを勘案しても、なんだか馬鹿にされているような感じを受けるのだ。だいたい「〇〇課の森です」と名乗っただけで「(笑)村上です」なんて返されると、もう森から電話がかかってきたという事実にウケているようにしか聞こえないではないか。ちなみに、私と彼とはとりわけ仲がいいということもない。同僚というまでもない、互いにただの「会社の人」だ。

 

 そこでひとつめの可能性としては、実際に私を馬鹿にしているというケースが考えられる。私から電話がかかってきたときに(おいおいまた面倒事かよ)なんて思いながらそれを(笑)に込めているのかもしれない。ただし、彼と私との間に直接の面識がなく、仕事上の関わりがなかったころからすでに彼は(笑)っていた。仮に彼と私とが直接仕事上のやりとりをするようになった後の(笑)が嘲笑の意の笑いであるとしても、すくなくともそれ以前の(笑)は別の理由によるものだ。理由もなく面識がない私が電話先で嘲笑われているという可能性は低い(と思いたい)。

 

 

 そもそも、笑顔は相手に対する好意の表れであり、相手を受容する姿勢を示すものである。とすれば、彼の(笑)もまた相手の警戒心を解くための笑顔の一種ではないか。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響によりテレワークが急速に広がっている。ついにはこのあいだ、「WEB会議で守るべき7つのマナー」なんてくだらない記事を見つけてしまったくらいだ。その記事によると、zoomなどを用いた会話は対面による会話の場合と比べて、相手に伝わる情報量が少なくなる。そのため、この情報量の少なさをカバーするためにも、普段の会話よりも意識して身振り手振りをつけたり、豊かな表情で会話をするべきであるという。

 考えてみれば電話での会話だってtele(遠隔)である。そもそもtelefonである。WEB会議の画面に下半身が映らない以上に、電話で伝えられる情報量には限度がある。なんてったって、そこには声しか乗らないのだ。電話の向こうでどんなに輝く笑顔をしていたって、その笑顔は相手の耳までは届かない。おそらく彼もこのことに気付いているのだ。そして、どうすれば相手に笑顔を届けられるかを考え、考えて考え抜いた末の結論が(笑)なのかもしれない。そう考えると、あのちょっと腹が立つ(笑)も許してやれなくもなさそうかもしれない。

 

 さらに、あの(笑)が彼の自由意思によらないものである可能性もある。
 忘れもしない小学5年生の秋。私は放送委員として昼の校内放送に出演していた。今日の給食の献立なんかをナレーションして、それが全クラスのテレビで放送されるのである。その日の当番はアナウンスだった。音声担当からのキューがでて、献立を読み上げる。ふとマイクから顔をあげるとそこにはわざとふざけた表情をつくって私を笑わせようとするクラスメイトの顔があり、私は……全校放送で笑い転げてしまったのだった。

 すぐに放送室に顧問の先生が飛び込んできて、私たちはこってり叱られた。でも仕方がない。往々にして不意に出た笑いというのは止められないものなのだ。そして、そんな経験をしている私には、私にだけは、彼の気持ちをわかってあげられる。もしかしたら彼も同じような目にあっているのかもしれない。彼が電話をかけようと受話器を上げると、向かいの席に座っている別の社員が、たとえば、変顔をする。毎度のことだから笑い転げはしないものの、村上はつい笑ってしまう。「(笑)村上です」

 

 この説の問題点を挙げるならば、実際に村上が笑わされているところを目撃したことがないことだ。彼のもとへ書類を持って行ったとき、あるいは別の用事でたまたま立ち寄ったとき、彼がだれかに電話をかけている様子を見ることがある。しかしそのときに誰かが彼にちょっかいをかけている様子はないのだ。だいたい、村上が受話器を上げるたびに変顔をするだなんて、そいつもそいつで暇なことこの上なない。そんなシチュエーションを考えるくらいなら、向かいの社員が変顔をするまでもなく、村上が彼の顔に(あるいは存在自体に)常にツボってしまっていると考えたほうがマシなくらいだ。実際、そのほうが説得力がある。

 

 結局のところ、なぜ彼がいつも(笑)うのかの謎は解けないままだ。彼の(笑)を聞くたびに私はどちらかというと冷めた気分になって、必要以上に淡々とした感じで対応してしまうのだけれど、たまには私も彼のように(笑)ってみようか。もしかしたら彼の気持ちがわかるようになるかもしれないし、実際(笑)ってみると楽しいのかもしれない。

 

 笑おう。