モリノスノザジ

 エッセイを書いています

秋が足りない

 もしかしたら掃除が好きなのかもしれない、と思うくらいにこの三連休、掃除をする以外の時間はがっつり無気力に過ごして、変な姿勢でダラダラしていたために変なところの筋肉がやたらと痛い。なんにもやる気がしない連休も、起きたら掃除をするぞと思うとなんとなく張り合いが出るもので、昨日はなんと窓拭きまでしてしまった。一年ぶりに掃除する窓ガラスは、よく見ると外面がびっしり土の鱗みたいなので覆われていて、拭いたらとてもきれいになった。

 

 明るい光が入るのは、美しい窓でも豪華な窓でもない。汚れをきれいに磨いて、一日に一度は窓際の洗濯物が片付く、働きものの家の窓だ。

 

 それにしたって、どうして秋はこんなにいろんなことをやりたくなるのだろう。家じゅうの窓をぴかぴかにして、できれば扉やノブも磨きたい。衣替えのついでに、いらなくなった衣類やへろへろの靴下をまとめて捨ててしまいたい。急に牛乳が飲みたくなるし、気まぐれにいつもは聞かない音楽を流してみたりする。あたらしい靴がほしくなって街へ出かけてみたり、週末は映画に舞台。本屋に行けば新刊のレシピ本が気になって、夕食にはちょっと手の込んだ料理をつくってみたくなる。「食欲の秋」に「スポーツの秋」、「芸術の秋」や「行楽の秋」なんていろいろなことに引っ張りだこな季節なだけあって、どうやらこの季節はいろんなものの「やりたいスイッチ」が軒並みONになるらしい。

 

 残念なのは、この季節がとても短いことだ。衣替えのついでにクローゼットを整理して、それから…なんて考えているうちに、いつのまにか秋は過ぎ去ってしまう。どういう段取りでクローゼットを片付けるかとか、クリーニングにはいつ出すのがいいだろうかなんて考えている最中だっていうのに、冬は否応なくやってきて、私はとりいそぎ衣装箱から引っぱり出したセーターを着て、まだ夏物の混じったクローゼットにそれを戻すことになる。いろんなことをやりたくなる秋なのに、秋はすべてをやり通すにはとても短い。

 

 今朝ごみ出しに出たら、吐く息が白かった。今年の初観測である。毎年この時期になると(いくらなんでも10月中は暖房いらないでしょ)と思うのだけれど、我慢ができず10月中に暖房を出してしまうのも毎年のことだ。もう冬はすぐそこまで来ている。