モリノスノザジ

 エッセイを書いています

セレブの寝室

 セレブってグタイテキに、どういう生活をしているんだろう?って話になったときに、私たちは「セレブ」と呼ばれる人々の「セレブ」と呼ばれる以外のことを何も知らないのだと気がつく。お金にも発想にも貧困な庶民であるところの私たちが考えつくのはせいぜい『一度しか着ない服を買う』とか『すごくふわふわなタオルを持っている』程度のことしかなくて、それはとても漠然としている。

 

 そんな私にも「お金持ちの寝室」というものには確固としたイメージがある。それは、とにかく広い寝室だ。部屋そのものが大きければ、ベッドも大きい。できれば部屋に占めるベッドの割合が100%、つまり部屋そのものが布団で占められているのが望ましいのだが、生活の利便性を考慮して80%程度まで落ち込むことは認めよう。部屋の真ん中にはいくら寝返りをしても尽きないほど大きなベッド(あるいは布団)が敷かれていて、ベッドの四隅には柱が立って天蓋を支えている。天蓋を支える柱には間接照明がついていて、部屋全体をうっすらと照らす。大きな窓からは美しい景色。

 大きなベッドは重要だ。というのも、寝室は寝るためのスペースである。そして、寝室はその主目的たる「寝る」にどれだけのスペースを割けるかがお金持ちかどうかの判断基準なのである。

 

 そんなセレブの寝室とは程遠いいつもの寝室で、ここしばらく寝込んでいた。持病のめまいの発作が起きて、それはいつものことなのだけれど、どういうわけだかそれがこれまでになくひどく、何日か仕事を休んでその間ほとんど寝ることしかできずに過ごしていた。寝込んだ初日に布団の上で吐いてしまって、どうしようもないのでそのまま数日間を過ごした。不幸中の幸いとも言うべきか、その日は朝から何も食べられなかったので吐いたのはほとんど水と薬だけで、布団の上下を入れ替えて冷たいところが身体に当たらないようにすればそれでとりあえず問題はなかった。

 

 昨日はようやく元通りに起きて生活ができるようになったので、朝から半日かけて部屋を掃除した。雨の日に閉めたままだった窓を開けて部屋に風を通し、床に掃除機をかけた。溜まっていた洗濯物をまとめて洗い、汚れた掛布団カバーやシーツも洗濯した。

 その日は一日薄曇りで洗濯物が乾くかどうか心配だったのだけど、夜になれば布団カバーも隅まで乾き、裸だった布団にカバーをかけてやった。皺の寄らないように丁寧にシーツを広げて、掛布団カバーも偏りのないように注意する。ぴったりとベッドメイクを済ませると、私のベッドは見違えるようにきれいになった。

 おもえばこの数日、私はめまいのせいでろくにシャワーも浴びることができなかったのだった。日に三度起き上がってわずかなかゆと薬を口に入れてから布団に戻るのを繰り返すのが精いっぱいで、洗濯前のくたくたの布団からはどことなく人間臭いにおいがしていたような気もする。

 

 元気になったはじめの夜、きれいになった布団に身体をすべりこませる。掛布団からはあの獣くさいにおいでも吐しゃ物のにおいでもなく、ほんのすこし柔軟剤の香り。それがうれしかった。寝室には衣類をしまうためのクローゼットに本棚、それにほとんど使っていない書き物机もあって、そのなかでベッドが占める面積の割合はおおよそ50%といったところだろうか。窓は北向きでときどき隣人のうなり声がとびこんでくる小さいのが一枚きりで、もちろん天蓋もない。思い描く「セレブの寝室」には程遠いけれど、寝具は清潔で、それがいいなって思いながら私は眠った。