モリノスノザジ

 エッセイを書いています

(彼女)の消息

 「ギャップ」と言うのはおおむね好ましいものと考えられている。ハンサムなのにおっちょこちょいだとか、いつも隙のない同僚が飲み会では羽目を外してしまうだとか、「おっちょこちょい」「羽目が外れる」だけに目を向ければ欠点に見えるようなことも、むしろチャームポイントになるのではないか。

 

 

 少し長めの休みには、いつもより少しだけ気合を入れて掃除をすることにしている。できれば、いつもより余裕のあるうちに衣替えの準備も済ませてしまいたいところだけれど、さすがに冬服はまだ早い。洗濯したシーツを干したら、まずは洗面所から順に掃除機をかけていく。

 と、ふと妙な感じがした。なにが妙かというと、なんとなく臭う。可燃ごみの日に捨てそこなった生ごみがやがて発するみたいな、生臭くて、不潔な感じのするにおいだ。しかし、捨てそこなった生ごみなどわが家にはない。そのうえここは洗面所なのだし、食品由来の生ごみのにおいがするはずもない。洗濯に使用した後生乾きの状態で片付けた洗濯ネットかと考えたが、どうやら違うようだ。頭をひねりながら再び掃除機のスイッチをONにする。やはり臭う。

 その妙な臭いは掃除機から発せられていた。吸い込んだごみが一時的に溜まる、スティッククリーナーのその内部が、いままでに見たことのないような汚れ方をしている。ごみ受け部分は透明なプラスチック製なので中まで見える。よくみると底には茶色っぽくてねばねばしていそうな塊がある。嫌な予感を覚えつつ、スティッククリーナーを分解して中を覗き込むと、茶色っぽい塊に小さな白い蛆虫がうご※※※※※(自主規制)。

 臭いの発生源と思われる茶色の塊は、やはり強烈なにおいを放っていた。身の毛もよだつ光景に思わず遠のいていきそうになる意識を必死につなぎとめて、冷静になろうと努める。しかし、一国の猶予も許されない。先週は思いがけず遭遇した虫を前に熟考していたがために、あいつを逃がしてしまったのだ。今回も同じ。怯えて触れずにいる間にさっきの虫たちが成虫になって飛び出してくるかもしれない。身体に触れられたらアウトだ。きっと私は正気を保っていられなくなる。

 「それ」が、茶色い塊ごと、流水で簡単に洗浄できたことが幸いだった。千切れた塊が飛び散ったり跳ねたりするたびに叫び声をあげながら、私は大急ぎでその仕事をやり遂げ、奴らは茶色の塊ごとビニール袋に詰めてごみ箱にぶちこんでやった。

 

 しかし、いったいどうして掃除機の中に幼虫が生まれたりするのだろう?

 心当たりがあるとすれば、先週の戦いのこと(真昼間の怪談 - モリノスノザジ

)だ。あのとき私は、なんとかして洗面所に現われた黒い虫を吸い取ってやろうと、そこらじゅうに掃除機をかけた。そして掃除機は、戦いの最中で噴出した洗濯機の水も吸った。多少の水を吸うことくらいこれまでもあったことだから、おそらく原因は水ではなくて虫の方だろう。私は黒い虫を逃がしたものと思い込んでいたが、実はしっかりと仕留めていたのだ。掃除機で。

 だが、掃除機の中にいたのはあのときの黒い虫ではなく、幼虫である。おそらく黒い虫が生んだのだろう。掃除機のごみの中に虫が自然発生したという可能性もなくはないが、それではやはり無から有が発生することになってしまう。あの虫が掃除機のなかで卵を産んだと考えるほうが筋が通っている。…とすると、あの虫、雌だったのか。

 

 掃除機の中にあの黒い虫はいなかった。おそらくヤツは掃除機に吸われた後、その内部で卵を産み落として力尽きた。死骸はだんだんドロドロになり、埃やほかのごみとくっついてねばねばした塊になる。卵から生まれたヤツの子どもたちは、親の死骸でできたその茶色いドロドロをすすって、掃除機のなかで懸命に生きた。やがて成虫になってそこから出ていける日を夢見て――。

 そう考えると、おぞましかったあの黒い虫に母性のようなものを感じ、なくも、ない。掃除機の中に閉じ込められ、自らは力尽きようとも、子どもたちの生命をつなごうとしたのだ。これはギャップ―――それも、野良猫に優しくするヤンキーの好感度が上がるのと同じ構造のギャップである。これからはもう虫も怖くない。ギャップ萌え!アイラブ虫!プリーズギブミーMORE虫!

 

 

 なんてなるわけない。ギャップがあろうとなかろうと、NO MORE 虫、もうこりごりです。