モリノスノザジ

 エッセイを書いています

6時30分起床、

 日記をつけるようになってから7年くらいが経った。―――と言っても、7年間毎日続けているわけではない。三日坊主を7年間続けている…いや、三日間も続けばいいほうで、最近は一週間に一度しか書かないことだってざらだ。思い出したときに、思い出したように書いているといたほうが正しい。だいたい、決まった時間に同じ電車に乗って会社に行き、パソコンの画面とにらめっこしてるだけの毎日だ。いったい何を日記に書くことがあるだろう?

 

 そうなることは書き始める前に予想がついていたことで、なので私は日記をつけ始めるにあたって上質なノートと特別なペンを用意した。なめらかな書き心地の紙のノートに、ブルーブラックのゲルインキボールペン。いつも会社で使っている黒インクのボールペンとは違って、なんとなく雰囲気が出る。日記に最適なノートに、日記には最適のボールペンだ。けれども日記を続けさせる効果はたいしてないようで、その結果が三日坊主未満である。まったく色気のない大学ノートにでこぼこのボールペンで日記を書き続けている人など、そういう人はどんなインセンティブがあって続けているのだろう。美しいノートにお気に入りのペンがあっても、私にはできないことだ。

 

 だけど、私は日記が嫌いなわけじゃない。むしろ、日記を書きたいと思っていて、だからそのために高価なノートを準備したりするのである。だけど肝心の書くことがない。書くことがない、のに書きたい、とはいったいどういうことだろう?

 

 スムーズに日記を書くために私が導入したのが、日記のフォーマットだ。はじめに書くのは起床時間。朝食の有無。弁当をつくったかどうか。朝新聞を読めたかどうか。そこまではテンプレートと決めておいて、毎日書き出しを同じにする。『今朝は新聞を読んでから家を出た』まで書けば、だいたい続きを書くことができる。続きに書くほどの出来事がなかった日はそこで打ち切り。この方法をはじめてしばらくの間は『6時30分起床。朝ご飯を食べて、弁当はコンビニでおにぎりを買った。新聞は読めなかった。』が続いていたのだけれど、気がついたらするする続きを書けるようになっていた。案外文章って、頭が書ければ続きは勢いでなんとかなるものなのかもしれない。

 

 たとえ日記の文面が『6時30分起床…新聞は読めなかった』であっても書きたいと思う理由は、習慣的に日記をつけることが心の安定につながるような気がするからだ。「今日も日記を書けた」っていう肯定感が生まれるし、毎日日記をつけていれば、そこは、なにか嫌なことがあったときに愚痴をこぼせる逃げ場になる。日記はプライベートなもののなかでも特にプライベートなものだけれど、日記をつける習慣がなければそこですら「ホーム」にはならないような気がする。なんでもない毎日も過ごす場所がホームなのであって、ときどき覗くだけの場所に個人的な思いを素直に書くことができるかと言えば私はそうではない。

 

 もうひとつの理由は、日記は過去の私と現在の私をつなぐ糸のように思えるからだ。昔の日記を読んで「?」と思うことがある。個人的に思い入れのある出来事なので日記に書いているのだろうけれど、読んでもさっぱりなにがなんだかわからないのだ。『今日もあの人がいつもどおり嫌な態度で接してきたので、思わず嫌味を言いそうになってしまった』なんて書いてあっても、『あの人』が誰を指すのかすらわからない。『いつもどおりの嫌な態度』っていったい何をされたというのか。出来事の詳細が順を追って書かれていても同じである。いったいなんで私はこんなに怒っているのか、今の私にはさっぱりわからない。昔と言ってもたかだか数年前のことだし、なんといっても自分のことだ。それでも私には、私のことがわからない。まるで別人のようだ。

 

 過去の自分が書いた日記を読むと、過去の自分は完全に別人であることに気がつく。だいたい、過去の私と現在の私、未来の私が同一の〈私〉だなんて、何が証明してくれるというのだろう。過去の自分が考えていたことを今の私は理解できないし、過去の自分と現在の自分との間には「隙間」がある。その隙間はどうやったって埋められないものだけれど、隙間の感覚を狭くすることはできる。それが、毎日日記を書くことだ。

 過去の自分はすでに「他人」になっていて、でも日記を書くことでその他人が「自分」になっていくグラデーションを感じることができる。日記は過去の自分と現在の自分とつなぐ糸で、私と他人をつなぐ糸でもある。過去の自分は現在の私には理解不能で、それだけに一番近い他人である。

 

 そんなわけで私は日記が書きたい。書きたいことはないのだけれど日記を書きたいと思っている。朝方少し雨が降っていたくらいで何もなかった今日という一日を記録に残すため、ボールペンのインクと同じブルーブラックの表紙を開く。こんな何もない一日ですら、未来の自分との隙間を埋める一日なのだろうか。頭をひねりつつ、とりあえず書く。『6時30分起床、朝ご飯にはパンを食べた。』。