モリノスノザジ

 エッセイを書いています

誠実な頭皮です

 世間はお盆休みだっていうのに、思ったよりも電車が空いていなくてへこむ。乗客はいつもの半分―――というほどでもない。1割減と言えば控えめすぎるけど、3割減は言い過ぎだ。まったく日本人というやつは、年に一度の墓参りもせずに毎日電車に乗って過ごしているのか、と。自分のことを棚に上げてののしってみる。

 

 通勤ラッシュの戦いは、朝玄関を出るところから始まっている。目当てのホームから電車が動き出し、ホームドアが閉まったそのタイミングで列に並ぶことができればベストだ。そして、そこに並ぶためのスタートダッシュは自宅の玄関から始まっている。一分でも出発の時間が遅れれば、一分でも道中でタイムロスをすれば、列の先頭に並ぶことはできない。歴戦の勇者は見極める。お天気アナウンサーが本日の最高気温を読み上げている。「注意報です」と言う声が聞こえる前に、玄関の扉を開ける。

 

 無事ホームドアの先頭に並ぶことができたとしても、まだ油断はできない。電車がホームに到着してホームドアが開いたとき、二度目のスタートダッシュが待っている。一瞬の迷いも許されない。右か左か、ひとときでも迷えば奪われ、飲み込まれてしまう。目の前で開いたドアとその向こうのドア、ドアとドアで挟まれた空間に位置取ってしまうのは一番の悪手だ。各駅でドアが開くたび、洗濯機のなかの靴下のようにもみくちゃにされ、翻弄されることになる。もちろんベストは座席に座ることなのだが、朝の通勤時間帯。まさか空いていようはずもない。せめてつり革。せめてガラスに向き合って、つり革をつかめるスペースを手に入れたいもの。扉が開いた瞬間、左右にさっと目を配り、つり革の空き状況を確認する。ひとときの猶予も許されない。人垣を割ってでも、空いているつり革にすがりつく。さもなくば洗濯機の靴下だ。勝負は一瞬で決まる。靴下か、つり革か。昨日は涼しい顔でつり革をつかんでいたヤツが、今日は開閉扉の前でパンツになっている。人生とは残酷なのだ。

 

 なんて強者らしく語ってはみたものの、負ける。ふつうに負ける、5割くらいは。そして、それでも靴下になりたくない私はどうにかして電車の通路に入り込む。左のつり革の背中と、右のつり革の背中に挟まれて立つ。暗いガラスのなかには、小学校の学級写真みたいに上手に顔の位置をずらして並んだ私たちが映り込んでいる。どんな顔しようか迷う。

 汗ばんだ知らないおじさんの体温を背中で15分受け止め続けることになったりだとか、前に並んだ女性のスマホ画面が丸見えで目のやり場に困ったりすることはあるけれど、通路の真ん中はそんなに悪いものじゃない。すくなくとも、洗濯機よりはましだ。夏は頭上から風も吹きこんでくるし。と思っていると、前に立っている女性の髪もまた風にそよいでいる。まるい髪だ。髪が頭のかたちに沿ってカーブしている。カーブする髪のその根元は頭皮からしっかりと立ち上がっていて、それなので、薄毛というわけでもないのに髪と髪の間からまっしろな女性の頭皮が透けて見える。紫外線の影響を受けない頭皮は白い。そのしろいしろい頭皮から何本もの髪の毛がすっくと立ちあがっている。清潔だ。いいな、と思った。

 

 髪は頭皮から生えている。あたりまえだ。だけど、そんなあたりまえをこんなにも堂々と見せつけられるとなんだかどきどきする。しかたなく、斜め右下で居眠りをしているおじさんの頭皮を見ることにする。―――見えない。髪の毛はあるはずなのに、なんだか一本一本の毛がくちゃくちゃに縮れていて、とても頭皮が見えそうにない。その隣のサラリーマンもそうだ。前髪をべったりとワックスで寝かせてしまっている。頭皮が見えない。見えないのでやむを得ず、ということにして、女性の頭皮に目が戻ってくる。圧倒的なまでの誠実な頭皮。太陽に向かって背を伸ばすひまわりのように、髪は女性の頭皮に立っている。なんてうつくしいのだろう。息をのむ。

 

 これは革命的だ、と思ったのはやっぱり頭皮が見えることだった。夏休みの午前中、たいくつな再放送の合間といえば洗剤やウィッグのCMばかりだったあのころ(今も?)、頭皮から立った毛の根元が見える「新・育毛法」はとても画期的に見えた。今では当たり前の技術なのかもしれないけれど、もともとある毛に人口毛を編み合わせて、自然に増毛したように見える技術だ。どうやら毛のないところでも増毛が可能らしいけれど、どうやってやるのかはわからない。だがとにかく、もしゃもしゃのウィッグをかぶせるだけの気休めとは違う。しっかりと頭に根付き、毛根も見える。

 それは単にリアルというだけではなくて、それ以上の価値があるように思えた。あのときはわからなかったけれど、それは頭皮の、そして頭皮から立ち上がる髪の根元に特別に備わっているなにか〈誠実さ〉のようなものだったのかもしれない。何が言いたいかって言うと、とにかく頭皮は大事で、うつくしい頭皮をした人は誠実で素敵だってことだ。