モリノスノザジ

 エッセイを書いています

人生はすばらしいと言う

 このあいだひとつ歳をとった。30歳である。もう30歳。幼いころの私も、社会人になったばかりの私も30歳はとおい大人だと想像していて、でも現に30歳になってみればそれはよくも悪くも単純に、これまでの人生のさきっぽなのだった。20歳の私から切り離された30歳の私など存在せず、ここまで来たところで後ろを振り返れば、そこにはもっと確かな実感がある。よくわからないけど20歳のときの私と、そのとき想像していた30歳の私との間にあった隔たりのようなものはいつのまにかなくなっていて、これまでの私の人生はしっかりとした線でつながっているのだった。

 

 25歳になって「四捨五入したら30だよ!」って騒いでたのが嘘みたいに、今では歳をとるのは悪いことじゃないと思う。まあ都合の悪いことや嫌なこともそれなりに起こりはするんだけれども、そういうふうに思えるようになることが、歳をとるってこと、大人になるってことなのかもしれない。けれど、私がこう思えるようになったのはただ歳をとったからではない。そういうふうに歳をとってきたからだ。客観的に見て私の人生はうまくいっていないのかもしれないが、それでも私は思う。歳をとるのは悪いことじゃないし、人生はすばらしいって。

 

 「人生はすばらしい」と言う人がここにもいる。

 

 ショッピングセンターにふたりして映画を見に行った夜。閑散としたフードコートでは休日に行われるイベントのリハーサルが行われていて、名前を知らない地元のアーティストがギターを弾きながら歌っていた。人生はひどくつまらないけれど、そんな日々が俺にとっては大事なんだよ、みたいな歌詞。仮設ステージの前にはリハーサルだというのにいつの間にか何人かの客が集まっていて、ばらばらとパイプ椅子に腰かけたり、拍手をしたりしていた。ストローでタピオカをいじめながら、友だちは「人生はつまらなくなんかないよ」と言った。「私の人生はすばらしい」と。私は、そうなのか、と思って、でも何も言わなかった。その「すばらしい人生」に私と出会ったことは、こうしてふたりで映画を観た夜のことは含まれているんだろうかと聞きかけて、やっぱりやめた。ふたりで割った肉まんを食べ終えてから、私たちはリハーサルの続くフードコートを後にした。