モリノスノザジ

 エッセイを書いています

珈琲中毒

 「病は気から」ということばがあるけれど、たしかに心のありようは身体に影響する。というか私の場合、身体は自分でもあきれるくらい心の言いなりになりっぱなしなんだ。ささいなことでも、嫌なことがあればとたんに食欲がなくなるし、ちょっとでもへこんだらすぐに涙が出そうになる。うれしいときは身体も軽いし、残業が続けば胃の壁にブツブツがすぐできる。嫌で嫌で仕方のない相手に仕事でやむを得ず電話を架け、受話器を降ろしてから、2分前にはなかったニキビを顎に発見した発見したときにはわれながらあきれた。しかもそのとき電話はつながらなくて、私はただコール音を聞くだけの2分間でりっぱなニキビをこさえてしまったのである。

 

 しかしこの反対があるかというと、そううまくはいかない。がんばってモリモリ食べても元気にならないし、無理してスキップしてみたってむなしくなるだけだ。身体は心の言いなりなのに、心はどこまでもマイペースで、ちっとも身体にだまされてはくれない。

 

 唯一の光明といえば、言えるのだろうか?コーヒーは私に効きすぎる。

 コーヒーに含まれるカフェインには、覚醒作用があるという。そうかも、たしかに。コーヒーを飲むと、やけに頭が冴えるような気がする。しかし冴えすぎだ。いろんなことがぽんぽんと頭のなかに浮かんで、手が追い付かない。結果、いろんなことが気にかかってひとつのことに集中できなくなる。軽いギアを全速力でこいでも自転車はちっとも進んでいないときみたいに、すべてが空回りする。

 拡張した血管を、指先の毛細血管をヘモグロビンの粒子がとおりすぎるときのざらついた感覚に胸が騒ぐ。コーヒーとアルコールを同時に摂取すると、胃の中がからっぽになるまで吐き続けることになる。うっかり正午よりも後にコーヒーを口にしようものなら、夜中まで手足が火照ってまるで寝付けやしない。ひどい中毒症状である。

 

 身体が摂取したコーヒーが、こんなにも心を支配してしまう。ふだん心にやられっぱなしの身体としては一筋の光明、ではないだろうか。いつもは大きな顔をして自らを制してくるあの心が、カフェインの前ではこんなに落ち着きをなくしてへろへろだ。いっそカフェイン漬けにしてやれ。なにも手につかなくなるくらい、心の自由を奪ってやる。これからは身体が心を支配するのだ。

 

 …しかし考えてみれば、やたらと吐いたり眠れなかったり、身体のほうだって割を食っているではないか?というか、いいかげんにしてくれ。身体も心も私のもんだ。身体がくたびれるのも心がくたびれるのも、もうたくさん。いがみあって傷つけあったりしないで、なんとか協力して私を元気にしてはくれないものだろうか?

 

 なんて、心と身体をなだめつつ暮らしてる。ほんとうに言うこと聞かないんだ、両方とも。