モリノスノザジ

 エッセイを書いています

雨をレコードに変える街

 平成から令和へ変わるお祝いの、そしてこれまでにない10連休の記念すべき―――翌日。5月7日の朝は雨だった。うすぐらい未明に雨が降りこめていて、それはとても完璧だった。ざあざあでもしとしとでもぽつぽつでもなく、じとじとでもさーさーでもない。完璧な雨をことばで言い表すのはむずかしい。完璧な雨は世界そのものを変えてしまうから、それをたしかめるには実物を体験するほかない。

 

 雨がこんなにも特別なのは、私が10代後半―いわゆる青春時代―を雨のなかで過ごしたからだと思う。その街は雨そのものといってもいいほど四六時中雨が降っていた。天気予報が「くもり」と言えば雨、「晴れ」と言ってもだいたい雨、「雨」と言えばもちろん雨だ(当たり前)。それだからその街に住む人たちは必ず傘を持って外出するし、どんなに澄み切った空であったとしても洗濯物を外に出すことはしない。天気予報はもっぱら気温を確認するためだけのものである。つねに雨の降りこめるこの街を嫌いだという人もいるけれど、私はわりあいその街が気に入っていた。とんでもない強風でその日3本目のビニール傘を折られたときには街を出ていきたい気分になったけれど、結局そんなこんなで6年間も暮らしていたのだった。

 

 雨が「青春時代」のようなふわっとしたものを想起させるのはめったにないことだと思う。あの人と旅行に行った日は雨が降っていたなあ、とか、ピンポイントの記憶が雨と結びつくことがあったとしても、10代のころは雨が降っていたなあ、と思うことはない。ふつう雨はそんなに常に降っているものではないからだ。けれど私は雨が降るたびに10年以上も前のあの頃を思い出す。森が迫った、ただ広いだけの肌寒いアパートで、窓際に寄せたベッドに横たわって雨の音を聞いていたこと。うす暗い部屋から雨越しにながめた夜の街並み。大粒の雨や小粒の雨がかわるがわる窓ガラスにぶつかるかすかな音。水たまりで濡れた靴下。背中が濡れるのを気にしながら、遅れるバスを待っていたバス停。いまでも雨はそういう気分を連れてくる。そしてそれは、毎日が雨だったあの街のせいなのだと思う。

 

 私はその街から引っ越して、なのでもう雨の記憶は更新されない。無責任で自由で、お金がなくて何もわからなかったあのあの頃。そんな記憶を閉じ込めたまま雨は、これからも私に降りつづける。

 

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こちらの企画↓に参加させていただきました。どこかの誰かさん、楽しい企画をありがとうございます。

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お題「雨の日のちょっといい話」