モリノスノザジ

 エッセイを書いています

カワハギ解消法

 三味線にはいつまでも納得がいかない。あの白い銅の両面には犬や猫の皮が使われているというけれど、ほんとうだろうか?犬や猫の、いったいどこの部分が?実物の猫に毛が生えていることを差し引いても、生きている猫の皮とは似ても似つかない。猫のお腹、毛のうすいところをなでると、そこは猫の呼吸にあわせてふくらんだり縮んだりする。皮の下の身体が放つあたたかい体温が、さらに一枚皮膚を隔てた私にまでじんわりと伝わってくる。あのあたたかくてやわらかい猫の皮が三味線についているなんて、簡単に納得できるものだろうか。

 ほかにも、たとえば鮭の皮。アイヌ先住民族は鮭皮でつくった靴を履いていたという。鮭の皮が丈夫なことについては、何度も包丁を通そうとしたこれまでの経験からなんとなく知っている。だがそうは言っても、靴として使うほどの耐久性が果たして鮭皮にあるのだろうか?手に入るものでやりくりしなければならなかったのだと言われればそのとおりだけれど、そうはいってもやっぱり鮭皮は無理じゃないのだろうか?

 かつて存在した遊牧民族が、打ち取った他部族の敵将の皮を剥いで身につけたとかいうのも信じられない。だって、人間の肌はこんなにやわらかいのだ。あたたかい生身にこんなにもぴったりと沿って、伸縮自在。加工や装着に耐えられるほど丈夫ではない。はずだ。―――と、思っていた。これまでは。

 

 ここのところ私が集中してるのなんてこれくらいだ。本を読むとき、テレビ番組をぼーっと眺めるとき、お風呂のなか、そのときどきで無意識のうちに足の皮を剥いでいる。毎日歩いていると、足の裏にも皮がかたいところとやわらかいところができてくる。そして、そのやわらかい皮と固い皮の境目がねらい目だ。皮膚の筋(指紋じゃなくて、足紋?)に沿って、ゆっくりと皮をはがしていく。うっかり肉が出てしまわないように。焦りは禁物だ。と言っても、失敗したところで2・3日触らずに歩きまわっておけばいい。足裏の皮膚はあっという間に再生して、ふたたび皮剥ぎを楽しめる。

 

 この皮剥ぎの最中、意図せずして三味線に納得せざるをえなくなってしまった。ついさっきまで足の裏を覆い、しなやかに動く足に合わせて伸縮していた皮膚。はがしてしまうまではやわらかかったその皮膚が、足の裏からはがした瞬間にみるみると小枝のように硬くなっていく。はがした皮を、爪でちぎろうとしてももうちぎれない。身体から切り離された皮膚は、さっきまでそこにあった皮膚とはまったく別物のようだ。身体からの水分供給が途絶えて一気に乾燥するのか、それとも別のメカニズムがあるのか、理由はわからない。とにかく皮膚は死んで、硬くなってしまう。生き物から剥がされた皮は死んで硬くなって。なるほど靴にも三味線の胴にもなりそうになる。

 

 足の裏の皮を剥ぐことはいつのまにか私のストレス解消法になっていて、お風呂に入ると失敗したところがすこしじんじんするのもちょっと気持ちいい。思わぬかたちでかねてからの不満(?)も解消されるところとなって、しかもカワハギは私の大好物だ。ああ、これだからカワハギってやめられない。