モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ラリーしようよ

 「クイズ番組を一緒に見てても面白くない人」についてsotto_voceさんが書いていたので(①)、たしかに誰かと一緒にクイズ番組を見るときの適切なふるまい方というのは難しい問題だと言及したところ(②)、ふたたびsotto_voceさんが補足を書いてくださっていた(③)。腑に落ちて、納得しました。またどうやら、自力で導き出した正解を口走ることはsotto_voceさん的にもセーフのようです。よかった。

 

クイズ番組を一緒に観てても面白くない人 - もの知らず日記
正解はどちら? - モリノスノザジ

クイズ番組を一緒に観てても面白くない人(補足) - もの知らず日記

 

 ブログ記事を整理しようとダッシュボードを開いたら、まだ日付を入れていない記事がひとつあるのを見つけた。このブログを開設するにあたって書いたきり、公開することなく下書きとして保存し続けている記事だ。内容は、このブログにひとつめの記事を書いてからやりたいこと、実現したいこと、書きたいこと、企画の構想など。五年先の2023年まで、一年ごとに目標が書かれている。どうやら当時はそれくらいまではブログを続けるつもりでいたらしい。

 このブログはまるで役に立たないエッセイを書くブログにしたいとはじめから考えていて、そんなブログを開いたところでどこにも需要がないことはわかりきっていた。それだからブログを開設したところで当面の間は(それどころかずっと)誰にも読まれることなく一人で書き続けなければならない可能性を私は覚悟していなければならなくって、自分のモチベーションを上げるためにこんな記事を書いたのだと思う。

 すっかり忘れていたのだけれど、当時はこんなことを考えていた。このブログが広大なネット世界にぽつんと発生した孤独な存在としてではなく、コメントや言及を通してほかのブログとつながること。馴れ合いではなくて、それによって新しい発見や視点が互いにもたらしあうこと。今回のsotto_voceさんとのやり取りのように、誰かのブログを読んで興味深いと感じたこと、わからないとか不思議に思ったことについて自分なりに深堀してみたり別の視点から考えてみること。それに対してまた誰かからツッコミを入れてもらうこと。それはこのブログを始める前からやってみたかったことなのだなあと思う(非生産的で攻撃的なだけの批判の応酬は嫌ですよ)。

 sotto_voceさんの記事(③)を読んでなるほどなあと思ったのは『考えている人にクイズの答えをばらすのは、その人が考えたり想像したりする楽しみを奪うことである』という指摘だ。つまり、クイズ番組は視聴者に対して「考えたり想像したりする楽しみ」を与えているのだということ。確かに、クイズ番組がクイズを通して視聴者に何らかの知識を与えることを目的としているのかと言われるとそうではないような気もして、そうなるとやはりクイズを解く過程=考えることが娯楽なのだと気が付く。なるほどなあ。
 このブログも正解を教えるブログではなく(そもそも正解なんてわからないけれど)、クイズ番組みたいに、読んでもらえる人に考えたり想像したりする楽しみを与えたり、あるいは一緒にクイズ番組をみてワイワイ考える仲間みたいな存在になれればと、改めて考えました。

 sotto_voceさん、お付き合いいただきありがとうございました。皆さんも面白そうなことを書かれているのをみつけたら首をつっこみにいきますのでお気をつけて。