モリノスノザジ

 エッセイを書いています

失われた7日間について

 初日とその次の日、凍えるような天気の下を旅行しただけで、バーベキューも花見も手作りパンもキャンプもなくただただ長い休日を過ごしている。それでも思い立って書店に出かけてみたりするのだけれど、出かけるだけでなんだか眠たくなって、何も買わずに帰ってきてしまう。今朝目覚めたらこんなに身体がだるいのは、もしかして昨日ダイソーに出かけたからだろうか?なにもない連休であるだけならまだしも、前代未聞の大連休にも関わらず規則正しく生活している自分が憎くてたまらない。なにもしない10連休ならばせめて自堕落な生活をすればいいのに。せめてもの抵抗として、昼食にカップ麺など食べてみたりする。

 やってくる前はあれほど長く思えた連休も、今日で8日目。8日…。8日あれば何ができただろう。資格勉強に打ち込むとか、自転車で遠くまで旅に出るとか、友達と遊ぶとか、積読をまとめて消化するとか、大好きなアニメのDVDを一気見するとか。けれどそれも、8日目になってから気が付くのではもう遅い。10連休は既に7割終わってしまった。せめてこの反省を次の10連休に生かせればよいのだけれど、残念なことにここまで長い連休はそうとう先までなさそうである。

 

 ポジティブな思考法について説明するとき、コップに入った水のたとえが用いられることがしばしばある。たとえば、コップの中に水があります。この水を見て「もうこれだけしかない」と考える人もいれば、「まだこれだけある」と考える人もいる。物事はとらえ方によってポジティブな意味にも、ネガティブな意味にもなりうるのです。ないものを数えるのではなく、あるものを数えて感謝しましょう。なんて。

 なにも特別なことができないまま失われてしまった7連休をポジティブに考えるとするならば、「まだ3日ある」といったところだろうか。たしかに3日。あれだけ長いと思えた10日間に比べれば短いけれど、されど3日である。その三連休ですら、今後1カ月以上は来ないのだ。まだ3日もあるなんて、ありがたいにもほどがある。ああありがたいありがたい。あるいは、もう7日。もう7日も休んだ。根がネガティブで、強引なポジティブ誘導には辟易する私には、こっちのほうが向いているかもしれない。もう7日も休めた。なにもなかったけど、いい連休だったなって。

 

 連休が終わるのはかなしい。仕事するのは好きじゃないし、休みに入る前に片付けきれなかった懸案事項がまだ残ってる。火曜日に出勤したら、その日は9時半から予定が入っていて、朝一で資料をつくらなければならないし。あたらしい仕事を引き継いだばかりだから、連休明けもしばらくは残業の日々が続くだろう。だから、一日いちにちと日が進み、連休の日数がだんだんと少なくなってしまうのはやっぱりかなしいことだ。これが終わったらまた、あの日々に帰らなければならない。

 けれど5月7日はどうしようもなくやってきてしまう。それならば、タイムリミットまでに残された時間がじりじり目減りしていくのを嘆くよりも、これまでの時間をかけて自分が得られたものを数えたい。たしかに私はこの7日間、大したことをしてこなかったけれど、大好きな自宅に引きこもってゆっくりした時間を過ごせた。いつもなら点滅する信号を見て走っていたけれど、次の青信号まで待つ余裕もできた。いつもは時間がなくて半分しか飲めないコーヒーを、休みの間は毎日三杯飲めた。

 

 コップにはもうこれだけしか水は残っていない。けれど、少なくなった分だけ飲んだのだ。その水も、あと3日で空っぽになってしまう。こんなにたっぷり水を飲めるなんて、すごく久しぶりで。

 うれしかった。

 

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」