モリノスノザジ

 エッセイを書いています

正解はどちら?

 sotto_voceさんが「クイズ番組を一緒に見てても面白くない人」について書いていた(クイズ番組を一緒に観てても面白くない人 - もの知らず日記)。「当たったことを自慢する」、「わからなかったことを調べる」あたりはまだ許容範囲か。しかし、「調べた結果を考えている人にバラす」はアウトとのこと。たしかにそうだ。正解を把握したうえで、人が考えている最中の、その奮闘ぶりを見守るだけなのなら問題はない。けれど、バラしてしまうのはマナー違反である。クイズの楽しみはきっと、正解を知ることだけではない。彼/彼女はもしかしたら、ヒントに頼らず頭をひねらせるそのこと自体に喜びを感じているかもしれない。そんな彼/彼女にクイズの正解を教えてしまうのは、子どもから夢中のおもちゃを奪うことと同等である。

 

 正直なところ、クイズ番組は嫌いだ。当たればうれしいけれど、わからなかったらくやしい。そのうえ、他人といっしょに見るときには、このような『クイズ番組を視聴するにあたってのマナー』が求められる。調べたうえで正解を知っておきながらそれを他人にバラすのは論外だけれど、調べずとも正解が分かってしまったときにそれを言うのはセーフだろうか?私が答えを言ってしまったら、同じように相手が考える楽しみを奪ってしまうことになる。けれど、正解かどうかはまだわからない。不正解の可能性があるのであれば、口に出してもかまわないのではないか。たとえそれが不正解の回答だったとしても、それを口にすることによって「それは違うよ」とか「あっそういう考え方?」なんてコミュニケーションが生まれるかもしれないし。

 けれどここでやっかいなのは、正解したらうれしいが、不正解だったら恥ずかしいというクイズの性質である。正解がわかったときにそれを口に出したくなるのは、誰よりも早く・正確な答えを導き出すことに私が価値を感じているからだ。正解をわかっていること、それを他人にアピールすることに何の意味もないのであれば、わざわざ答えを口に出す必要はない。けれど、私は心の底で「クイズに正解する自分」は他人に評価されると思っている。逆に、不正解の答えを口に出すのは恥ずかしいことであり、避けるべきことだと考えている。この結果、私は自分自身が導き出した答えに自信があればあるほどそれを口に出したくなる。その結果、「これが正解かどうかはわからないから喋ってもいい」と考えていた先ほどまでの自分とはちあわせてジレンマに陥る。

 

 さらに言うと、たかがクイズ番組。調べればわかるような、単に知っているか知らないかの問題にそこまで熱くなるのも恥ずかしい。クイズ番組の楽しみ方は、ただ正解を当てるだけではないはずだ。たとえば、自分はあえて不正解の回答ばかりを口にして、その場にいるほかの誰かを立たせてみるとか。ちょっとボケて周りの笑いを誘ってみるとか。
 とはいえ基本的にはクイズ番組は「当たって楽しい」が基本にあるはずで、そんなひねくれた楽しみ方を見出すのもマナー違反なのかもしれない。いまのところ私はクイズ番組を見るときは基本的に黙る方針を取っているのだが、それはそれでよい楽しみ方と言えるだろうか?私はいったい、どうやってクイズ番組と向き合えばいいのだろうか?

 たしかにこれは、難問だ。