モリノスノザジ

 エッセイを書いています

都合のいい脇役になりたい

 バブル時代に存在したと言われる、いわゆる「キープくん」。「アッシー」とか「メッシ―」、「ミツグくん」と呼ばれる彼らの存在を知ったときには、とてもかなしい気持ちになった。女性にとって彼らは愛情を注ぐべき本命の彼氏ではなく、必要なときに都合よく「使う」存在である。男性という生き物がいかに鈍感であろうとも、自分が彼女にとって都合がいいだけの、代わりの男が現われれば掃いて捨てられるような存在であることに気が付かずにいるなんてことができるだろうか?もしかして彼らは、自分が第二第三の男であることに自覚していながら、それでもいつかは本命に昇格できると信じて尽くすのだろうか?自尊心を殺して女に使われるその気持ちは、どうやって消化したのだろうか。

 

 都合のいいだけの存在にはなりたくない。そう思ってきた。「アッシー」や「ミツグくん」といった言葉が死語になった今でも、恋愛を伴う人間関係において一方的に消費される男女がいなくなったわけではない。会社では、多少キツい仕事を与えても文句を言わない人間が取り立てられる。花形部署への配属、忙しい日々。それは本当によいことだろうか?

 都合よくつかわれているだけの存在になりたくないのは、むなしいと思うからだ。望まれればいつでも車を出すし、食事をおごる。それが彼女に対する献身だと考えるし、尽くし続ければ見返りが得られると信じている。会社では残業が当たり前。ほかの社員の仕事も引き受けて、しばらく昇給のない給与も甘んじて受け入れる。自分が会社にとって唯一無二の存在でなくたって、そうやって毎日会社のために忙しく働くことが「やりがい」だと感じている。ただし、彼らの希望がかなえられることはない。なぜなら彼らは、会社にとっても交際相手にとっても、ただ都合のいいだけの存在だから。

 

 しかし、彼ら「都合のいい存在」にも言い分はある。まず何よりも、彼らにはだれかに都合よく使われるだけの強みがある。車を運転できることでもいい。お金を持っていることでもいい。指示された仕事はそつなくこなせることでも。まずは「使える」人間でなければ、都合のいい存在にすらなれないのだ。基本的に彼らは「使える」人間であるがゆえに、仮に現在の主人から暇を与えられたとしても問題はないだろう。キープくんをやめて、次に出会った女性が運命のひとかもしれない。会社が傾きかけたとたんにリストラされたとしても、転職先が天職になるかもしれない。一時的に「都合よく使われている」ことに悲観的になる必要はないのだ。なぜなら彼らには、強みがあるのだから。

 能力のある彼らが「都合のいい存在」に甘んじているのには、訳がある。ばかばかしいかもしれないけれど、ミツグくんは本気で彼女に惚れていたのだ。自分が第三の男だなんて、そんなことに何の意味があるだろう?彼女を喜ばせることこそが彼の喜びだ。そして、そう思うようになったきっかけだってきっとあるはずだ。都合のいい彼が彼女にとって都合のいい存在のままであり続けるのは、そうさせるなにかが彼のなかにはあるからだ。それは愛情かもしれないし、責任感かもしれない。罪の意識かもしれない。彼にはそうするだけの理由があるのだ。

 そう考えると、都合よく使われる人たち一人ひとりにそれぞれの人生があり、感情があり、記憶があることに気が付く。彼らを「都合のいい存在」に縛り付けているのは、ほかならぬ彼ら自身のドラマなのだ。

 

 いつか私が「何者かになりたい」と思っていたとき、それは代えの効かない主人公のようなものだった。「天才」と呼ばれる人たちに憧れるときもそうだった。ぼんやりと夢に見る彼らは、誰かに都合よく使われることなどなく、圧倒的な主人公としてただ一人たたずんでいた。けれど私は本当にそんなものになりたかったのだろうか。本当は、そんな誰かのそばに、ただいたかったのではないか。自分自身が主人公になんてなれなくてもいい。心の底から惚れ込んで、彼に頼まれたことならなんだって力になる。彼に頼りにされることは本当にうれしいし、自分が都合よく使われいるだけかなんてどうだっていい。そんな主人公にいてほしかったのではないか。

 

 日に灼けたダッシュボードがジリジリと熱を放って、窓を開けていても熱い。建物から出てきたヤツはこちらに気が付いて、まわりを見渡しながらゆっくりと駐車場を歩いてくる。「きみも都合のいいときに現れるもんだな」なんて言いながら勝手に助手席に乗り込んで、カーステレオを弄ったりしている。呼び出しておいて何を、と反論したくなるけれど、ヤツの身勝手な頼みをいつだって断れずにいるのは私の方だ。ほかの誰かが代わりをやるなんていうのも気に食わないし。

 車を発進させるといつもヤツは黙り込んでしまう。何があったのかもわからないままヤツの言う行先へ車を走らせる。いつだってそうで、肝心なことは何も話してはくれないのだ。でもそれでいい。黙っているヤツの横顔は見ないふりをして、しかたがないから今日は気が済むまで付き合ってやる。

 

 ――そんな、都合のいい脇役になりたい。