モリノスノザジ

 エッセイを書いています

好きですす

 幼いころに絵本をつくったことがある。そのうち一冊は眠っていたお姫さまが王子の愛情あるなにかによってめざめるという、これ以上ないほどテンプレートにはまったストーリーだった。たぶん私はキスを知らなかったので、絵本のなかでは、眠っている姫に王子が近づくとあたり一面が光につつまれて、姫が目を覚ますという展開になっている。独創的なのはその光の表現で、見開き2ページをつかってカラフルな「の」を描いている。当時の私が唯一書くことのできたひらがなが「の」だったのかもしれないけれど、一方では「の」という文字を単なる表音文字のひとつとしてではなく、もっと視覚的で記号的なものとしてとらえていたのかもしれない。

 そんな私が大人になって気に入っているひらがなは「す」だ。基本的には字が醜い私だが、「す」だけは特別である。何気なく書いたメモに「す」の文字を発見してはうっとりする。なんといってもフォルムがいい。クルっとしてから下にすっと流す、その感じがとても知的で洗練されていていいのである。

 思うに、文字はクルっを含むとなにかモチャっと鈍くてやぼったい感じがでてしまうもので、「む」や「る」、「ぬ」なんかはその典型である。それも字のきれいな人が書けばある種のミヤビさというか、むしろ落ち着きや品を醸し出すもとになるのだが、私の字だとそうはいかない。その点「す」は、クルっとした後下にすっと流すことでもたつかない。エレガントだ。

 語源である「寸」との結び付きがわかりやすいのもいい。「お」とか「つ」なんか個人的には、なんでこの字がこれになんの?という感じがする。まあこれは単なるイチャモンなのですが。

 そういうわけで、街中でばったり「す」に出くわすと(あ、ここでも出会ってしまった!ドキッ)、なんだかうれしい気分になる。しかも、「す」は「です」とか「ます」に含まれる文字ということもあり、遭遇率が高い。「です」「ます」は基本的にひらがなで使われることもあって出会いの可能性をさらに高めている。「す」のほかにもマイフェイバリットギリシャ文字やマイフェイバリットカタカナもあるのだけれど、それはまたの機会に。