モリノスノザジ

 エッセイを書いています

ようこそネガティブの国へ?(2/2)

(前の記事:ポジティブ・リバウンド

 こうして道半ばでネガティブ治療を断念することとなった私であったが、冷静になって考えてみると、ネガティブは本当にそんなに悪いものなのだろうか。

 あわただしかった日々のすべてが終わり精神的にも落ち着いた今になって考えてみると、疲れたり失敗したりしていたらネガティブになることだって、まああるだろうよ、と思う。

 あのころの私を追い詰めていたのは、ネガティブな自分を許せない気持ちだったのだろう。失敗して落ち込んで、落ち込んでいる自分が嫌でさらに落ち込んだ。そうしていつのまにかポジティブを信仰するようになったのだ。けどそれだって、まあまあそんなことはあるよね、と思う。誰だってお腹や頭が痛いときはある。そんなとき悲しい気持ちになるのも当たり前だ。そして、だれも私の腹痛を咎めはしないし、頭痛で落ち込んでいること自体は何も悪いことじゃない。それと同じように、精神的な落ち込みだとか、それを気に病んでいっそうブルーになっていたとしても、それ自体はなんにも悪いことじゃないのだ。今までずっと「ネガティブは悪いもの」と思い込んでいた私だけれど、そう考えられるようになるとずいぶん気持ちが楽になった。


 けれどそもそも、ネガティブはほんとうに悪いものなんだろうか。自分がネガティブになっているからって落ち込むようなものなんだろうか。最上悠著『ネガティブのすすめ―プラス思考にうんざりしているあなたへ―』は、ポジティブ思考の危険性を指摘するとともに、ネガティブを「克服すべきもの」ではなく「強み」に変えるための方法を説いている。

 プラス思考の落とし穴の一つは、それが現実逃避につながる可能性があることだ。何かで失敗したとき「次はうまくいくって」とか「今回は運が悪かっただけ」と考えるのはポジティブであるように思われるが、現実のネガティブな部分から目をそらして今の自分を肯定する逃避的ポジティブになりかねない。

 また、過度なポジティブは人を孤立に導く。ネガティブな意見に耳を貸さず、周りをないがしろにする人。苦しみや悲しみの渦中にいる人にポジティブを押しつけて(前向きになれよ、とか、いつまでも落ち込んでるからダメなんだぞ、とか)、人に寄り添うことのできない人は孤立する。

 また、プラス思考に傾倒し、自分のネガティブな感情を素直に受け入れられないことは心身に悪影響を与える。精神科医らしい指摘でなかなか納得だ。

 それに対して、ネガティブはうまく活用すればとても素晴らしい資質になりうる。はじめに、欠点やマイナス面を直視することができるネガティブ思考は、問題解決にとって重要な姿勢である。物事を疑い、常に最悪のケースを想定することで有効な対策につなげることができる。

 また、人間関係は自信のネガティブな要素を相手に見せることで深まっていく。さらに、自分自身の欠点をよく理解している人は、他人に共感することができる。どれもポジティブ一辺倒の人には欠けていた要素である。

 

 しかし、こうした比較のもとで「だからポジティブ思考はダメ!ネガティブこそがすぐれている」と主張するなら、それは不公平だと思う。なぜなら、これまで書いてきたことは「過度なポジティブ」と「適度でうまく活用されたネガティブ」を比較しているからだ。

 もちろん著者も「行き過ぎたネガティブ」は悪影響を及ぼすとして、それを克服するための章を設けている。行き過ぎたネガティブの悪影響とは、「どうせまた失敗する」とか「何をしてもうまくいかないに決まってる」と現状に甘んじ、何かを変えるための努力をしないことだ。けど、これって結果的に、さっきみた「行き過ぎたポジティブ」と似てはいないだろうか…?

 

 ポジティブとネガティブは、どちらも極端になれば過度な現状肯定、現実逃避につながるという点で似ている。そのとき違うのは向いている方向だけで、どちらもその場から一歩も動いていないのだ。重要なのは現実にある問題にどう対処し、どう解決するかということであって、どっちを向いているかは関係ない。気持ちが前向きだからってすべてがうまくいくなんて考えも甘えた考えであって、気持ちがどうあろうと私はこの世界で生きていかなければならないのだ。

 実際のところ、ネガティブとポジティブの違いははるかに小さなものなのだろう。そして多くの人はその、ネガティブともポジティブともつかないあいまいな部分を、今日はすこしだけネガティブ寄りになったり、ポジティブの側に振れたりしながら生きているんだろうと思う。

 そもそも「ネガティブもわるくない!ネガティブを生かそう!」というのは考え方によってはめちゃくちゃポジティブな考え方である。ネガティブに振り切れ過ぎず、逆にネガティブを生かそうとする人はある意味「ポジティブ」であって、じゃあ逆はなんなのだろう?ネガティブすぎるのもポジティブすぎるのも「ネガティブ」要素であって、じゃあネガティブとかポジティブっていったいなんだったのだろう?そうやってぐるぐると考えていると、そもそも生きていく態度としてネガティブかポジティブのどちらかしかないと思い込んでいたこと、そしてそのふたつは決して交じり合わないものだと考えていたことがばからしく思えてくる。もちろん、ネガティブが《悪》でポジティブが《善》だというのも、思慮の浅い思い込みだ。

 どうやったって私はいいことがあれば元気になるし、悪いことがあれば落ち込んでしまう。それ自体はとても自然で、仕方のないことだ。けれど、そんな変わりやすくてあるんだかないんだかわからないようなささいなものに振り回されて、ポジティブになれないからとか、自分はネガティブだとかいって落ち込むのはもうやめにしたい。私が今生きている私はポジティブとかネガティブとか言い切ることのできない単なる「今」であって、それに名前を付ける必要なんてないのだ。

  

ネガティブのすすめ―プラス思考にうんざりしているあなたへ

ネガティブのすすめ―プラス思考にうんざりしているあなたへ