モリノスノザジ

 エッセイを書いています

豆苗の罠

 豆苗は食べておいしく、育ててたのしい野菜です。

 毎朝駅のホームで顔を合わせはするけれど、一度も挨拶をしたことがない人。豆苗に関してはそんな認識だった。スーパーでいつも見かけはするけれど、いっしょに置かれているスプラウト系の野菜との違いもわからない。カイワレなんかはレタスなどと比べても用途が限られるのでは?という考えもあってスプラウト系はこれまでに数えるほどしか買ったことがなく、豆苗に至っては一度も買ったことがなかった。

 昔からあるような気がしている豆苗だけれど、もともとは中華料理の高級食材として食べられていたもので、スーパーで安価に購入できるようになったのは最近のことらしい。えんどう豆の若葉を摘んだものらしく、もっと大きく育てればたくさん食べるところがあるにも関わらず、食感がやわらかいうちに出荷してしまう仔牛のようなもの…と考えると、自然に育てている限り高級食材であるのも理解できる。
 そんな豆苗のたのしいところは、一度葉を食べてしまったあと、残った根と豆を育ててふたたび収穫することができること。豆に残った養分を使い切ったらもう伸びなくなるので、永遠に…というわけにはいかないけれど、一つ買ったら2~3回は食べられるお得感のある野菜だ。パッケージにも栽培方法の説明が書かれている。そしてこれは、群雄割拠の野菜売り場において豆苗が生き残るための、したたなか戦略でもある。

 一つの豆苗を買って3回収穫した人がいるとする。この人が仮に、一度食べ切った豆苗は再収穫が可能であることを知らないとすると、3回豆苗を食べるためには三つの豆苗を買わなければならない。豆苗が一つ売れるよりは三つ売れたほうが豆苗会社にとっては得なのに、どうして豆苗会社はわざわざ「豆苗は育てられる」ことを公にしているのだろうか?
 まず、豆苗の再収穫について知らない人は、一つ目の豆苗を食べ終わってから二つ目の豆苗を買う、という前提が誤っている。私は家に豆苗を持ち帰ってからそれが再収穫可能な野菜であることに気が付いたけれど、そもそも再収穫可能でなければ豆苗は選ばないという人もいるはずだ。野菜売り場にはたくさんの種類の野菜がある。豆苗と同じくらいの栄養価を持ち、同じような用途に使える野菜ももちろんある。そうした野菜の群雄割拠ともいえる状況で、豆苗が「繰り返し選ばれる」ためには、再収穫できるという強みが必要なのではないだろうか。
 つまり、「水に浸しておいたらまた食べられますよー!育てるのたのしいですよー!」なんて親切な呼びかけをしておきながら、その陰にはお得感を餌にリピーター化を狙う豆苗の戦略があったわけです。

 なんという恐ろしい罠…。豆苗の原価なんてわからないけれど、「2つ余分にサービスします!」という商品がよくよく考えればまったくお得ではないように、そもそも再収穫を前提とした価格設定であったりもするんだろうか…。とはいえ、単純に使いやすくて苦みもないので、豆苗はまた買おうと思います。