モリノスノザジ

 エッセイを書いています

私はいつ準備ができるのか

 またやってしまった。時計のかたちを確かめてため息をつく。今ごろ洗濯機のなかでは、洗濯物がすっかりなまあたたかくなっているんだろう。ほんの少しの時間のつもりだったのに、いつの間にこんなに経っていたんだろう?こうやって、スマホでネットやゲームをしているうちに時間が経ってしまい、後悔することがしょっちゅうある。

  10年前はまだスマートフォンを持っている人のほうがめずらしかった。大学三年の夏、iPhone3Gを手に入れた先輩が、研究室でフリック入力を自慢げに披露していたのを覚えている。世間一般ではどうだったかわからないけど、私が所属する研究室では初めてスマートフォンを手にした人間だった。
 黎明期のスマホに〈ガラケーにはできなくてスマホにできること〉や〈あえてスマホを持つ理由〉がどれほどあったのか。当時はあまりよく知らなかった。手元の携帯もまだまだ現役だったので、私がスマホを手にしたのはそれから数年経ってからだったと思う。けれど今はもう、スマホを持つまで自分がどうやって生活していたのかわからない。携帯でネットって見れたんだっけ?外出先で地図を見るとかできなかったの?ガラケーでもゲームとかあったんだっけな?かつてはドライブ中道がわからなくなったら紙地図を広げて現在地を探すところから始めなければならなかったし、ゲームをするには初めにいくつものケーブルとゲーム機をつなぎ合わせなければならなかった。そういう点では、スマホはいろんなことを手軽にしたんだと思う。

 そして私は、気が付いたらスマホを使って手軽にできるあれこれと、そのほかの特にやりたくもないことで毎日の空白を埋めながら、本当に〈やりたいこと〉を先送りにして生活するようになっていた。

 もちろん、私が〈やりたいこと〉をやらない生活をしている原因はスマホだけじゃない。どこかに「まだ準備ができていない」という感覚がある。スマホから顔を上げて初めて時間の浪費に気が付くのと同じように、過去の自分はいつだって愚かだった。これまでに自分が〈完全に間違っていなかった〉ことがなかった以上、現在の自分が〈完全に間違っていない〉ということがありうるだろうか?私は今も気が付いたらスマホに熱中してるんじゃないかってそれが不安で、ずっと「準備ができていない」。

 いったい私は、いつになったら準備ができるんだろう?