モリノスノザジ

 エッセイを書いています

隔たったところから

 変化というものは本来、いいものでも悪いものでもない。変化にはいいものも悪いものもあるし、ある変化がいいものであると同時に悪いものでもあるということもある。それなのに。「この1年の変化」と言われると、ほとんど反射的に「悪い変化」のほうが頭にはじき出される。疑いもなく、新型コロナウイルスのせいだ。

 

 実際のところ何が変わったのかと聞かれると、たいして変わっていない。実のところ。勤め先の性質上時短営業や外出自粛の影響を受けるということもなく、職場でのテレワーク導入も遅々として進まず、ただいつもより少しだけ出勤する時間がはやくなっただけで、いつもどおり電車に乗り、いつもどおりの仕事をして給料をもらう、いつもどおりの生活。ただ遊びに行くことは減って、ただただ働いて食べて寝るだけの生活に心が錆びつきそうになることもあったけれど、それだけだ。働けて、食べて寝られるというただそれだけのことができるということが、今は幸運なのかもしれない。

 そんな幸運な日々を送っているものだから、多くの人と同じように、旅行にも行かなかった。

 

 

 以前まで、私たちは年に一度会っていた。旅行をしようと言い始めるのはだいたい決まっていて、だいたい暇な私がだいたい最初に反応する。あそこがいいねここがいいねなんてLINEでやりとりして、みんな優柔不断でやさしいから、特定の誰かが極端に遠くならないように譲り合ったりしてなかなか行先は決まらない。そんなこんなでやっとのことで目的地を決めると、宿だけ決めて思い思いの日程で現地に集まり、借りたレンタカーの中で行先を決める。別れるときは、毎日顔を合わせていたときと変わらないような何気なさで、そういう大げさじゃないところが好きだった。

 

 私たちは変わらないようで、変わっているとおもった。みんなで集まる約束の日より一日早く神戸に着いた私を、彼は小洒落たイタリアンレストランに連れていった。

 「この店、村上春樹の小説に出てくる店らしいねん」と彼は言った。それから、港の近くにあるショッピングモールまで歩いて、窓から夜景の見える店でプリンを食べた。その一連の行軍はあまりにもこなれすぎていて、もしかしたら以前女の子を連れて同じ道を歩いたのだろうかとおもった。とっさに、友人が北海道に遊びにきたときに、ろくな店を知らなくて恥ずかしい思いをしたときのことをおもいだした。私が女の子をエスコートすることになったとしても、彼のように上手にはできない。

 

 私たちは変わらないようで、変わっているのだとおもう。些細だけれどどうしようもない考え方の差異を、そのズレた心が触れあうときに生じるわずかな摩擦のようなものを感じることが増えるようになったとおもう。同じことを学び、同じ街で生活し、大学食堂の同じメニューを食べ、朝から晩まで一緒の研究室で過ごしたあの日々。そのときと比べると、私たちの前提条件は大きく変わってしまった。

 例えば違う職業に就いていること。給料が違い、仕事の内容が違い、残業に費やす時間と家で過ごす時間とのバランスが異なること。

 仕事に対する考え方も、人によって異なっている。私は仕事をすることにたいした熱量は持っていないし、長時間残業したりして体調を崩したりするのはばからしいとおもっている。でも、友人はそうでもないらしい。もちろん、そうおもわずにはいられないという可能性もある。長時間勤務が常態化していて、それを自らの力で変えられないのだとしたら、私も自分がたくさん働いていることには何らかの意味があると考えたくなるとおもう。現に自分がそうだ。私は自分が残業をしないことを、仕事に熱を入れて人生を棒に振るのはばからしい、という思い込みで正当化しようとしているのかもしれない。

 どっちにしろ、友人は私を「(自分は苦労しているのに)楽している」とか「仕事を軽く見ている」とか感じるかもしれない。友人たちと久しぶりに会って話をしても、ここ数年の私は黙っている時間のほうが多い。

 

 

 私たちは卒業と同時にそれぞれの道を別々に歩き始めて、ほんの少しだけ方向が違うつもりで歩いていたら、いつの間にかずっと距離が遠くなってしまったのかもしれない。その距離が決定的な隔たりになるのを、年に一度の旅行が多少なりとも和らげていたのかもしれない。でも、それはこれまでの話だ。一度も集まらなかった2020年という時間が、私たちの間の距離をずっと広げてしまった可能性もある。そうでなくても、新型コロナウイルスをめぐるあれこれは、各個人が置かれた立場の違いを明確にする。単に、物理的に距離が離れているというだけではなくて。

 

 

 変化というものは本来、いいものでも悪いものでもない。変化にはいいものも悪いものもあるし、ある変化がいいものであると同時に悪いものでもあるということもある。

 感染症の拡大で旅行には行けなくなったけれど、劇場の営業が安定するようになってからは、頻繁に映画館に通っている。たぶん、これまでの人生のなかで一番映画を見ている。いままで嫌煙してきたジャンルの映画も見るようになって、人生はますます楽しくなるばかりだ。コロナのせいでどこにも行けない一年だったけれど、映画館の椅子に座ったまま私はどこにでも行けた。

 

 変わってしまうことは、それ自体悪ではない。だから、仮にこの一年間が私たちをより遠ざけてしまうものであったとしても、その隔たりを、なんか、たのしいものにすることができたら最高なのにな、とおもう。会わなかった一年の間に経験したことを、自分自身の変化を持ち寄ってそれを楽しめれば、そのときはまた私たちの関係もひとつの「変化」を経験することになるだろう。

 あるいは、このまま関係が冷え切ってしまって、二年前に会ったのが最後だった、なんてことになるかもしれない。そうなったらちょっとかなしいな、とおもう。まあ、案外なにも変わらないのかもしれない。

 いずれにしても今の私には、隔たったこの場所をできるだけたのしく、はなやかに彩ることしか、することがない。

 

お題「#この1年の変化

はやくセックスをしてくれ

 暗い部屋。大きなスクリーンに映し出された映像の、どちらかというと明るい部分だけが光となって顔面を照らす。私は緋色のカバーがかかった跳ね上がり椅子に腰かけて、さっきからエロいシーンを待ちわびている。別にエロいビデオを見てるわけではない。そういえば、アダルトビデオってどうして令和の時代になっても「ビデオ」なんだろう?

 

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 納得がいかないことがある。映画のレイティングシステムのことだ。日本では現在「G」「PG12」「R15+」「R18+」に区分けされ、各作品はそれぞれ、性的な描写の有無に加え、暴力や殺人など反社会行為、未成年による飲酒や薬物使用のシーンの有無などによってどの区分に該当するかを審査される。「G」、つまり「一般向け」に分類された映画は誰でも見ることができるが、「R18+」の映画をみることができるのは18歳を超えている者に限られる。過激な描写が精神的に未成熟な若者に与える影響を考慮しての制限だ。 

 

 しかし、18歳未満は「R18+」映画を見られない、ということは、18歳以上であればだれが見ても問題がない、ということを直ちに意味しない。少なくとも私の場合は、大いに問題である。精神的に未成熟で、善悪の判断がつきかねるから―――というわけではない(とおもいたい)。単純に、いくつになったって残酷なシーンは嫌なのだ。つくりものとわかっていたって、登場人物が痛そうにしていたら私も苦しい。ショッキングなシーンに出くわせばびっくりする。そして、数日間はその痛みを引きずるのだ。

  その意味では、レイティングシステムはそういった「ショッキングな映画」を見極めるためのひとつの判断材料になる。「G」のみの映画を選んでみていれば、心の平穏は守られるわけだ。なんてったって「G」はGeneral(全員の)のG。3歳の子どもだって見られるのだ。すばらしい、レイティングシステム最高!と叫びたくなる。

 

  しかし、問題もある。ひとつは、なんらかの年齢制限が加えられている映画が、かならずしも内容が暴力的であるがゆえに制限されているとは限らないことである。例えば未成年の喫煙シーンがあるからとか、ちょっとエッチなシーンがあるからとか、そういう理由で「PG12」なり「R15+」にレイティングされていることもある。

 なにが問題かっていうと、個人的に、そういうのは問題ないのだ。映画を見て「タバコ吸いて~」とはならないし、まあ仮にそうなって吸ったとしても法律上問題はない。エロいシーンにも動じない。ただ、暴力がなければいいのだ。しかし「PG12」とか「R18+」とかいった表示は、その映画がなんのゆえにそうレーティングされているかを示してくれない。

 

 年齢制限があるがゆえにその映画を見ないという選択肢をすることは、一方では暴力描写がある映画を回避することを可能にするが、また一方では心からたのしめる映画を見のがすことにもつながる。そして見逃した映画のなかには、暴力描写以外の理由によって年齢制限が付されており、したがって、暴力描写に弱い私が見てもなんの問題もなかった作品が含まれているかもしれないのである。 

 だから願わくば、年齢制限付きの映画にはその理由を事前にわかるようにしてほしい。「暴力」「残酷」あるいは「薬物使用」「未成年飲酒」と区分分けしてほしい。それもできるだけ正確に。Amazon プライムでは作品の冒頭でそういった表示がされるけれど、必ずしも正確とは言い難い。というか、Amazonの区分分けはわりとよくわからないので参考にしていない。

 

 もうひとつよくわからないのは暴力・残酷表現であっても、ある程度までは「セーフ」とされているようにみえることだ。全年齢向けだから安心、とおもって見始めた映画で拷問シーンをぶつけられたりすると、ひどく裏切られたような気分になる。

 目をそらしても悲鳴は耳に入ってくる。想像は果てしない。つむった目の暗闇のなかでも、映画のなかの彼はやはり拷問を受けている。実際にそのシーンを見ていない分、想像上の彼はもしかしたら、映画のなかでされているよりもずっとひどい仕打ちを受けているのかもしれない。しかしそれを確かめる方法はない。目を開けて拷問シーンをばっちりと見るか、目をつむって拷問シーンを想像するか。どちらにしても、私の心はひどい苦痛を受けるのである。

 

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 そういうわけで、映画館の椅子に座った私はさっきからひどくそわそわしている。ずっと前から楽しみにしていた映画だ。残業をはやめに切り上げて見に来たというのに、映画のタイトルも表示されないうちから気持ちが落ち着かない。ここにきてはじめてこの映画が「R18+」だと気がついたからだ。ああ、なんてことだろう。そうだと知っていたらせめて、どうしてこの映画が成人向けなのか事前に下調べくらいしておいたのに。

 

 そうして私は祈りながら待つ。この映画が「R18+」に指定されるに至ったその、決定的なシーンを。できればエロいシーンが来てくれ。エロいシーンがあるから「R18+」ってことにしてくれ、と祈りながら、主人公がセックスするのを待ちわびている。スクリーンの前で汗をかきながらベッドシーンを待っているなんて変態のようだが、仕方がない。私は必死だ。

 どうか、はやくセックスをしてくれ。

 

Scrap of

 1月から3月にかけてのお楽しみは、4月に備えてあたらしい手帳を探すこと。まめに手帳を書くわけでもなく、それでも、観たい映画や楽しみにしている舞台の予定を一覧できる手帳を辞めるタイミングもなくて、なんだかんだスカスカの手帳を持ち続けている。

 学生の頃はウィークリーやバーチカルを使いこなす社会人に憧れ、わりあい暇な社会人になってからも手帳はこだわっていたけれど、ここ数年はなんだか百均で十分だな、という気分。でも、百均と言ってもなかなか侮れない。百均の手帳は明らかにどんどんレベルアップしている。中身の充実度合いも、デザインも。それで、自分にぴったりきて、一年中わくわくしながら開けるような手帳を探すのが、毎年この時期のお楽しみになるのだ。

 

 そんなことで手帳のことを考えていて、本棚に並べてある古い手帳のことを思い出した。これまではどんな手帳を使っていただろうかとおもって手に取った手帳を、そのまま、ぺらぺらとめくる。一番古い手帳は就職活動をしていた学生時代につかっていたもので、もう覚えていないけど、あのころはそれなりにハードにあちこち行き来して面接を受けたりしていたらしい。こんなに後になって見返すくらいなら、もうすこしきれいな文字で書いておけばよかったな、とおもう。

 

 過去の私はどうにかして手帳を活用したいと考えていたらしく、その痕跡があちこちにみつかった。1日分が1ページのほぼ日手帳は6月くらいまでで書くのをやめてしまっていたけれど、飽きるまでの数カ月間のページは、その日見た映画のフライヤーや新聞のコラムを切り抜いて貼っていたり、読んだ本や気に入った短歌の感想を書いたりもしていた。

 無料の地域情報誌から切り抜いた料理のレシピや、その日食べたゼリーの蓋を貼っているページもあった。よっぽど書くことがなかったのか、よっぽどそれを残しておきたかったのだろう。

 それから、旅行の予定が書かれているページもあった。飛行機とバスを乗り継いで、どのルートがスムーズに乗り継ぎができるか考えたり、2泊3日の旅程のなかでいきたい場所をリストアップしたりしている。

 あ、そうか、とおもう。こうやってわくわくしながら旅の予定を立てた日が、ずいぶん遠い日みたいだ。この手帳はきっと旅先にも持って行ったんだろう。どことなくしわしわのページを指でおさえると、あの日行った瀬戸内の海がそのなかにあるような気がした。

 

 

日本画では、墨一色で描画された作品のうち、墨の濃淡・にじみ・かすれなど中国風の技法が用いられているものを水墨画といい、均一な線で描いたものを白描と分類する。日本水墨画の全盛は室町時代。15Cころから花鳥画のほかに山水画が描かれるようになり、15C終わりには雪舟が登場する。

 

 過去の自分が書いたことなのに、とても新鮮だ。これは、今年の1月1日の手帳に書いたメモ。1日にひとつ、学んだことを手帳に書こうと決めて(10日で諦めたが)、書いた、その初日だ。元旦になにがあってこのメモを残そうと考えたのか、今となってはまったくわからない。

 

1944年10月にハンガリーに成立した国民統一政府は、ドイツのナチス政権に協力的な立場をとり、1945年5月までの間に数十万人のユダヤ人を虐殺した。1941年に80万人いたユダヤ人のうち、敗戦時に生き残っていたのは20万人ほどだった。また、およそ2万8000人のロマもこのとき虐殺された。

 

 これは1月11日のメモ。ハンガリーに関するメモがこの付近の数日間には残されている。なぜかはわからない。たった1か月前のことなのに、自分が何を考えていたのか、何に影響されてこんなメモを残そうとおもったのか、すっかりわからなくなってしまうものだな。そういう意味では、覚えておきたいことをこうやって手帳に残しておくことは、ひとつの正解だったと言えなくもない。

 

 過去の自分は、まるで他人みたいだ。自分のことのはずなのに、そのとき自分がどう考えていたのか、なにを経験してどうしてそれを残そうとおもったのか、振り返っても理解できないことも多い。

 自分って、案外頼りないものだな、とおもう。私は一刻一刻と変化している。こうやって、私はかつての自分が考えていたことを思い出せなかったり、まるで他人のことのように感じていたりする。物理的にもきっと私は一定ではなくて、身体中の血液や細胞は絶えず入れ替わり、血圧や呼吸数も一定ではないだろう。「私」が安定的に私であるときは、ない。

 

 そうだとすれば、これは、私が書き残してきた手帳の1ページ1ページは、すでになくなった「私」のかけらをほんのすこしでもとどめているものではないだろうか。1ページ1ページに残された私のことばや、記憶や思い出のかけら、そのとき考えていたことや好きだったもの、気になっていたものの断片。

 これをつなぎ合わせても「私」にはならないのかもしれないけれど、絶えず変化して、今はいなくなってしまった「私」やその日々が、そこには少しだけ残っているような気がする。

 

 毎年この時期のお楽しみ。新しい手帳は、マンスリーに加えて小さいけれどもデイリー欄のあるものを選んだ。驚くことに、これも100円だ。恐るべし、百均。

 デイリー欄は、今年始めて途中でやめてしまっていた「学んだことメモ」に使うことにする。飽きっぽい自分のことだから、何年か前に使ったほぼ日手帳と同じように、途中から半分以上がまっ白なままになってしまうかもしれない。でも、そのときのほぼ日手帳を振り返ってみれば、空白のページもそれはそれである種の記録だな、とおもう。毎日書いたら書いたで「毎日書いた自分」が、毎日書かなかったらそれはそれで「毎日書かなかった自分」がそこに残る。

 「私」は一日一日こぼれ落ちて、日々も一日一日過ぎる。あとになったらきっとすっかり忘れてしまうような、そんな日々のかけらが、絵本に挟まった砂粒みたいに、手帳のなかに残っていく。

 

熱々のお湯でうがい

 ふしぎだ。まことにふしぎだ。

 会社のビルの1階にはとある銀行の支店が入っていて、私はその支店の女性行員専用の休憩室とフロアを同じくしている。だから昼休みに給湯室で歯を磨いていたりすると、口に歯ブラシをくわえた行員さんが「ふみまへ~ん」なんて言いながら駆け込んでくるのを目撃することがある。きっと廊下は寒いから休憩室で歯を磨いているのだ。こういうのってあんまり見ちゃいけない気がするけれど、なかにはテレビとこたつもあるみたいだし。

  ふしぎなのはその「ふみまへ~ん」でもなく、ちいさな休憩室を埋め尽くすように設置されているこたつでもなく、温度である。歯磨きを終えて、口をゆすぐとき、彼女らはいつも熱湯でうがいをしているようなのだ。

 

 給湯室の蛇口はレバー式で、レバーを左に寄せればお湯が、右に寄せれば水が出る仕組みになっている。彼女らは明らかに意識してお湯を選択している。そのことは、レバーをあらかじめ右に寄せておくと、わざわざ左に直してから使う様子が見られる点からも明らかだ。何度試してもお湯を出す。これはもう「たまたまお湯を使ってるだけなのです」などという言い訳は利かない。

  それも、ぬるま湯ではない。レバーを一番左に寄せたときに出るお湯というのは、そうだと気づかずにふれるとおもわず「熱ッ!」と手を引っ込めてしまいたくなるようなお湯、つまり、熱湯なのだ。「冷たい水でうがいをするのは冷たいから」などとは言わせない。それならばレバーを真ん中に寄せて、ほどよくあたたまったぬるま湯を使えばいいのだ。

 さらに、ひとりではない。毎日さまざまな行員さんと給湯室をともにするけれど、みんながみんなお湯にする。

 

 …いったい…なぜ?うがいは水でするものだとおもっていた。そりゃ、冬の朝いちばんで蛇口から出す水は冷たくてキンキンするけれど、それでもお湯でうがいという選択肢は私にはなかった。それも、熱湯だというのだ。給湯器でお湯を沸かすには時間がかかるし、熱湯…の、のどをケガするのでは…?

 

 それでも私は、彼女らに熱湯でうがいをするわけを聞くわけにはいかない。考えてもみよ。まぬけな顔で「どうしてお湯でうがいするんですかー?」などと聞いたところで、逆に「じゃああなたはどうして水でうがいするんですか?」と聞き返されてしまったら?

 私が水でうがいをするのは単なる習慣に過ぎなくて、したがって、彼女らのその質問に対する答えを私は持っていない。そんな私が彼女らに「どうしてお湯でうがいするんですかー?」などと聞く権利があるのだろうか。私だって、水でうがいをするもっともな理由なんてないのに。

 

 

 歯みがき道具を持って給湯室に行くと、シンクの前に見慣れた制服の背中が見えた。今日は先に給湯室で歯を磨いているパターンだ。意識して足音を立てて、給湯室に入っていく。静かに近づいて歯みがきが終わるのを背後で待っていて、驚かれることがしばしばあるからだ。不審者扱いされてはたまらない。わざと立てた足音に気がついた行員さんは「ふみまへ~ん」と言ってシンクを譲ってくれる。レバーは今日もぎりぎりまで左だ。

 

 

 水でうがいをするのに理由はない、と言ったのは、うそだ。あるとき歯医者でこんな話を聞いた。水でうがいをしてしみるなら虫歯がある。お湯でうがいをしてしみるなら虫歯があって、その歯の神経はすでに死んでいる。お湯でのうがいがこわいのは、神経の死んだ歯に気がついてしまうのがおそろしいからだ。

  でも、それはまちがっている。虫歯で神経の死んだ歯があるならば、一刻も早く気がついて治療をすべきである。水でうがいなんてしている場合じゃない。むしろじゃんじゃんお湯でうがいをして虫歯に気がつくべきなのだ。そのことをわかっていながらお湯うがいを避ける私は愚かとしか言いようがない。

 だから、お湯でうがいをする行員さんに「どうして水でうがいをするんですか?」と尋ねられても答えられないし、そんな私に彼女らのお湯うがいを糾弾する権利は、ない。

 もやもやした気持ちを抱えながらこれからも私は、もくもくとレバーを右になおし続ける昼を続ける。

 

坊主に水を遣る

 ずいぶん遠くのようで、ついこのあいだのできごとのようでもある年越しのことをおもっては、ためいきをつきたくなる。いつものことだ。翌日からはじまる「新年」に希望をはせ、胸いっぱいで眠る大晦日。一年の計は元旦にあり、なんて張り切って、一年の目標を夢に浮かべるお正月。それなのに、ひとつきも経たないうちにこうだ。一か月前に決めた日々の目標はとっくに破られて、夢も希望もない生活に揉まれてくたくたの雑巾みたいになっている。

 ああ、毎日が大晦日であり元旦であったなら、私はどれだけのことを成し遂げられただろう?「三日坊主」という言葉は、まるで私のためにある。

 

 ひとつのことに夢中になれる人に憧れている。ずっと。

 

 小中と義務教育を終えて入学したのは、いわゆる「進学校」だった。といっても、とびぬけて成績のいい生徒が行くような学校でもない。成績で言えば中くらい。文武両道、なんて謳っておいて結局そのどちらでもいまいちぱっとしないような、そんな学校にいて、自分を含め周りもそんな、中途半端に勉強のできる中途半端なのばかりだった。

 

 けれどもそれはよく言えば「バランスが取れている」と言ってもいい。大学に進学した私は、ある意味で極端ともいえる人たちに出会った。フレディ・マーキュリーに心酔する彼は、まともに授業にも出ず、サークルの部室で一日中ベースやドラムを弄っていた。論文を読むのに夢中になって、財布も上着もほっぽったまま本だけを持って帰りのバスに乗った友人もいた。小学生の頃からの夢を叶えるためにそこにいる友人もいた。それは、たくさん。

 

 なんとなくそこにたどり着いて、なんとなく流されるように生きている私にとって、彼らはとてもまぶしかった。長期的な目標を描いて、そこに行きつくまでの道をただ黙々と歩み続けることの美しさ。あるいは、ほかのなにもかもに盲目になったとしてもただひとつのことに夢中になれるひたむきさ。そのどちらにも私にはなかった。私は努力さえすればたいていのことができるけれど(運動を除いて)、そのどれに対しても彼らのように夢中になって続けることはできなかった。まるで「文武両道」なんて言いながら、そのどちらでもたいした結果を残せない、わが母校みたいだ。

 

 「三日坊主」は、そんな私のためにある言葉だ。いろんなことに手を出しては、一か月と興味が持たずに飽きてしまう。努力も続かない。

 

 三日坊主、というのは、あきらめた植毛だ。つるつるの頭をふさふさにするには、根気よく毛を植えていかなければならない。一日や二日で植えられる毛なんてたかが知れている。数日間毛を植え続けてふと周りを見渡したとき、そこに広がる淋しい光景を前にしてもそれが続けられるかどうか。私はそれができないから、あっちにふわふわの毛を植えてみては、飽きてこっちにきいろい毛を植えたりしている。いろいろなことに興味を持てることを一種の強みだと考えてみたこともあったけれど、結局そこにできるのは、ばらばらで統一のとれない、それであって量もまたふさふさと言うにはほど遠い、ただただみっともないだけの頭だ。

 

 そんな私を変えたくて、そうだ。2021年こそはがんばって短歌を詠もうと決意したのだった。短歌をはじめてからもう5年になる。けれど、自分で満足がいくような歌も、他人にほめられるような歌もろくに詠めなくて、他人の歌も上手に読めなくて、というかそもそも他の人のようにどっぷり短歌に夢中になっているわけでもない自分がなんだか恥ずかしくなってくる。いったい自分はどうして短歌を続けているんだっけ…?

 

 短歌を詠むのは、たすかりたいからだ。あるとき、こんな歌を詠んだ。

 

どうせ私は凡人だからとうつむけばぼんけんですがと犬がみあげる

 

 いつものように仕事でしょうもないミスをして、つまらない帰り道を歩いていたときにふと浮かんだ歌だ。そっか、犬はきっと自分が凡犬だなんてそんなくだらないことは考えないだろうし、そんなふうに見上げてきた犬の顔をみたら、自分が凡人だとかそんなこと、どうでもよくなってしまうかもしれないな、と、自分がつくった歌ながらに納得した。同時にそれは、歌にはこんなこともできるのだと気がついた瞬間でもあった。

 

 私はたすかりたい。たすかりたいし、たすけたい。中途半端でダメな自分を肯定してゆるしてあげられるような気持ちになれる歌をつくりたいし、同じような気持ちの人がいるならたすけてあげられるような歌をつくりたいと、そのときはじめておもった。

 やめてしまったら、きっと成仏できないだろうな、とおもう。成仏するのは死んだあとの魂なのかもしれないけれど、生きていたって同じだ。私は「夢中になれない私」として、自分をこころの底からは好きになれずに残りの人生を生きていくことになるかもしれない。そして、自分自身をたすけられるようななにものも、このさきつくることができないかもしれない。

 

 でも、本当に?本当に自分は変わる必要があるのだろうか。私自身をたすけたいとおもっている私が、今の私を否定して、捨てなければならないだなんて。それは自分を否定することではないのか。

 でもそれなら、いったい私はどうしたらいいんだろう?

 

 

 花屋に並ぶようなきれいな花ばかり見すぎていたのかもしれない。そういうのはきっと、ふつうの育てられ方をしていない。まわりから雑草はすべて抜き去られ、出荷のときもちょっとでも規格外の出来であればはねられる。そうやって市場にでてきた花とくらべてはならない。そうおもうしかない。そうして、自分の坊主頭にただひたすらに水を遣りつづける。どうすればいいというか、私にできることはそれだけしかないのだ。

 

 ひとつのことに夢中になれない私は、お店で売られているようなたった一輪のきれいな花を育てることはできないかもしれない。あっちを向いたりこっちを向いたりしながら、まわりを見渡せばてんでばらばらで、なんだかよくわからないものがあちこちに生えている。

 でも、よく考えたら坊主には一本だけ毛が生えているより、できるだけひろい範囲にたくさんの毛が生えているほうがよいではないか。たとえそれが「なんだかよくわからないもの」であったとしても、ないよりはましだ。そんなふうに考えることにする。なんて、むちゃくちゃだろうか。

 

 それでも、そうやってばらばらに生えているそこにも、ごくごく小さな花でもいい。花を見つけることができれば。私はそこに寝転んで、その場所を好きになれる気がする。そうしたらそのときはもう、私の勝ちなんだ。それが勝ちってことなんだとおもう。

 

 

 ちなみに「三日坊主」という言葉は、坊主頭に植毛をしても三日で諦めてしまうという故事から…ではなく、お坊さんとして寺に入っても三日で出てきてしまうことを言うようです。そりゃそうだ。